山田リオ
遠い夏の日
竹箒の細い竹を一本抜いて
テグス、いちばん小さい釣り針、赤虫、バケツ
近くの池から始めて
ずいぶん遠出もした
いつも一人で、バスや電車に乗って
狙うのは、手長エビ、タナゴ、クチボソ
家に帰って松藻の水槽に放すと
どんな熱帯魚よりもきれいだった
暑くなれば、橋の下
夕立がくれば、橋の下
そうやって、いつでも
みなもを見ていた
日暮れまで
ゆれる水面を見ていた
水を見ていれば、安心だった
帰りたくない時間
できれば、ずっとそこにいたかった
いい時間
いい日
いい生活
そう、あれはいい生活だった
模型のエンジン機はすこしだけ欲しかったけど
あれは、はじめから、無理な相談
それ以外には、なにひとつ
失うものも、欲しいものもなかった
限りなくホームレスに近かった
あの、幸福な少年。 Copyright ©2013RioYamada
2013年9月8日日曜日
三月兎のように
March Hare |
山田リオ
渥美清さんの言葉、
「カバン一つ持って、チョウチョやトンボのように、いつでも好きなところに行けたら」
だっけ?
あれが、頭から離れない。
何度も何度も頭の中で繰り返す。
夜、眠っている間も、容赦なく。
渥美さんは、すごいなあ。
ルイス・キャロルの「アリス」のなかの「狂ったティー・パーティー」の場面に出てくる気違い帽子屋でも、眠りネズミでもなく、三月ウサギになった気分。
挿絵の、→
まさに、あの眼だ・・
挙動不審の三月ウサギがカバン一つ持って
どこかへ出かけて行くんだ
眼の焦点が合わない。
行っちゃってる・・
自由は
本当の自由は、
三月ウサギだけが手に入れられる物なのか。
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mad as a march hare
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