2025年12月6日土曜日

名前

                                                               山田リオCopyright©2025rioyamada

私たちは あなたを メスグロヒョウモンという名で呼ぶ

そして あなたによく似た無数の蝶たちを 同じ名で呼ぶ

そして あなたは そんな名で呼ばれている事を知らない

私たちは 一人ひとりが 違った名前で呼ばれているのに

あなたは ここにいる 私のことも 私の名前も知らない

あなたは 私が あなたのことを大好きだという事だって

知らないまま そこで 午後の暖かい日差しを浴びている


 

Copyright©2025rioyamada


2025年11月21日金曜日

スミレ

                                                山田リオ

 夢を見た 曇りの午後の住宅街

家と家との隙間を行く 石ころだらけの狭い路地

あの 曲がり角 あそこのかげに スミレの花

花壇にある 大きな花の スミレじゃない

小さな 小さな 野の スミレ

近づいて見る いくつもいくつも

紫色の スミレの花 そのひとつが

小さな 小さな 人だった

ぼくは その花 その人に 言う


「写真 撮ってもいいですか?」


何も言わない その人の その花の 写真を撮る


スミレは すぐに 見えなくなった 


曇りの午後の 住宅街 石ころだらけの 狭い路地


紫色の 小さな 夢 また 会えるかな 野の スミレ Copyright©2025rioyamada 


2025年11月15日土曜日

パウンド

 「本当の教育は、突き詰めれば、知を求めてやまない人だけの為にある。その他の教育は、羊の群れを作っているに過ぎない。」


「あなたが深く愛したものは、ずっと残っていく。それ以外は、ただのカスだ。

あなたが深く愛したものを、あなたは決して失うことはない。

あなたが深く愛したものだけが、あなたのほんとうの遺産になる。」


           エズラ・パウンド (1885~1972)    山田リオ訳


2025年11月12日水曜日

あの時見たものは 2009

 あのとき見たものはなんだったのか

集中治療室で見た夢を 絵に描いてみました

            山田リオ

       Copyright© 2009RioYamada



2025年10月31日金曜日

雲の記憶

見上げれば 今日も 空には雲があります
あなたが生まれた日 空にはどんな雲がありましたか
それとも 雲ひとつない 青空でしたか
そして あなた あなたが旅立った あの日 
空に どんな雲があったか おぼえていますか
わたしは いつか 振り返る時が来る その時のために
今日も 明日も 空を見上げます
空の 高い所にいる あの雲を けっして忘れないために。

                山田リオCopyright©2025rioyamada 

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            山田リオCopyright©2025rioyamada     

2025年10月29日水曜日

物語

 「詩人は、自分だけの物語を見つけなければならない。

それが、どんなに小さな物語だとしても。」

  ジム・ハリソン(1937-2016)

               




2025年10月2日木曜日

うずくまる

ここに ひとり

こうして うずくまっている

でも いつか 時が来て

わたしが 立ち去ったあと 

ここには 言葉だけが 残るだろう

そして 言葉は けっして 立ち去らない

言葉は 小さい 言葉は 細い 軽い でも

言葉は ここに ずっと いつまでも 

うずくまったまま いるんだろう 

         山田リオCopyright©2024RioYamada



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2025年9月29日月曜日

さかのぼる

 「古いなあ」、「そんなもの、誰も興味ないよ」

そう、あなたは言う。

たしかに、わたしは、時代の先端を追いかけない。


そう。わたしは死んでしまった人たちを追いかけて


時間を、過去と言われる方向に遡って行く。


手漕ぎの小舟で、大河を遡って行くように。

               山田リオCopyright©2024RioYamada

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2025年9月8日月曜日

まちあわせ

 それは いつも

左の 斜め上の方 つまり あの 北西の空のコーナーから やってくる

でもそれは 待っていれば いつでも やってくるわけではなくて

でも いま見えている ほら あそこ あのコーナーの方から

それは かならず まちがいなく やってくるはずなのだから

ほら 左上方45°の あのコーナーから もうすぐ

きっと 笑って やって来るんだよ。

                    山田リオ 

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2025年8月22日金曜日


「自然を見れば見るほど 生き物たちはみんな
協力しあっていることが わかってくる。
この関係は もろい地球を守っている 強い手だ。
人間も 手をつないでいる一員であることを
忘れてはいけない。」
          自然写真家 山口進 (1948-2022)
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2025年7月19日土曜日

2025年6月25日水曜日

滑走路

 ・・・・右に見える競馬場

左はビール工場 この道は まるで滑走路・・・・

            松任谷由実 (1954~)


   

2025年6月16日月曜日

2025年6月9日月曜日

 曇りの 午後

あの角を 右に曲って それから 左

狭い路地を ゆっくり 歩く

静かな 裏道の あそこ

やわらかい光を受ける 白い 紫陽花

抜け裏の 光のなかの 白い 紫陽花

           山田リオ June9, 2025 

2025年4月10日木曜日

 若さとはこんな淋しい春なのか

          住宅顕信 (1961~1987)

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2025年4月9日水曜日

花      2016

              山田リオ Copyright©2016RioYamada

  いつものように 春が来て

いつものように 花が咲く

そしてみんなが やってくる

花を見ようと やってくる

また 時は過ぎ 春が来て

そして やっぱり 花が咲く

花は咲いても なぜだろう

花を見に来る 人は居ない

歩いて笑って 花を見た

あの人々は もういない

みんながいない 静かな世界

それでも やっぱり 春は来て

そして やっぱり 花が咲く

春はまた来る 花は咲く

なにがあっても 春は来る

何がなんでも 花は 咲く



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2025年3月24日月曜日

自由

 Cage、檻、鳥籠、

わたしは そんなもの いらない

わたしの 最期のとき

檻の中に閉じ込められたまま 死ぬのは いやだ

わたしは 野生の 自由な鳥や獣が そうするように

わたしの すきな場所に行って 

そこで ひとり 自由なまま 最期を迎えたい

それが たったひとつの わたしの願いです

           山田リオ

Rio Yamada 



2025年3月21日金曜日

雲の峰

 雲の峰あたり人かげなかりけり

                    久保田万太郎



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2025年2月27日木曜日

始まり

 「・・・人それぞれが自分自身の孤独を確立しないかぎり、

人生は始まらないということを、

すくなくとも私は、ながいこと理解できないでいた。」

              須賀敦子 (1929-1998)

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2025年1月18日土曜日

正解

                              山田リオ

「正解」?

正解なんて、あるはずがないだろ。

人の一生は、クイズじゃないんだ。


「どんな思いで?」だって?

この一年、秒で数えたら、三千百五十三万六千秒だぞ。

それを、一言で言え、っていうのか?

十年なら、何秒になる? あんた、言ってみろ。

2025年1月17日金曜日

静かな生活

2007RioYamada photo


                山田リオ 
Copyright©2007RioYamada

ココから電話があった 昨日の夜カーメルに着いたという

この週末に来られないか という 僕は 多分行けるけど

妻の予定は知らない そう答えた

ココは電話の向こうで 少し しんとしてから

またかけるね そう言って 電話を切った 


ジョージは仕事が忙しいから 滅多に一緒に来れない

だからココは カーメルでは一人暮らしが多くなって

ニューヨークに住む僕たちに 来て欲しいわけだ

でも北カリフォルニアは遠い 簡単には行けない


妻が帰ってきて その話をすると 少し考えてから

隣の部屋に行った 考えてみたら 僕は今 暇だし

今年はペブルビーチで 全米オープンゴルフがある

六月になれば混んでいるから 行くのはむずかしい


しばらくして妻が戻ってくる 休みが取れたと言う

明日早朝の便が取れれば 月曜までの小旅行になる

妻はココに電話している 静かな声で話しているが

彼女の心が弾んでいるのがつたわってくる


ニューヨークから サンフランシスコに飛んで

小型機に乗り換え モントレーまでの短い飛行

白っぽい砂漠を越えて 松の多い崖の向こう側

滑走路に着陸すると 遠くの方の建物のところ 

ココが手を振っているのが見える


妻とココが一緒にいると 双子のように似ている

二人が一緒にいる時は 他の友達といる時と違い

なぜかいつも 静かな声で ひそひそ 話をする


夕方 海の方から いつものように 霧がやって来る

霧は まず 入り江を満たし 低い所から だんだん

ミルクのように 海を そして陸を 覆い隠して行く


夕食を終えると まず 暖炉の薪に火をつける

この季節でも 夜は かなり冷え込むから

ぼくは暖炉のそばに寝そべって 本を読み始める

すると 珍しく ココが ぼくのとなりに座った


「で、どうなの?」 ぼくの顔を覗き込むように

ココが尋ねる 「すべて順調。」とぼくが答える

ココはぼくを見ているようで 実は透明なぼくを

通り越して その向こうがわを見ている気がする


「もしも、何か・・・」と ココが言う

「もしも、何か?」と ぼくが尋ねる

「あなたとジョージに、」と ココが言い直す

「あなたとジョージにね、もしものことがあったとしても」

ココは 遠くを見つめながら言う

「心配ないからね。」ぼくはだまって聞いていた

「私と彼女と二人で、この家で暮らすんだから。」

ココは そう言ってから立ち上がった

ぼくは 彼女の背中に向かって言った

「それなら、ぼくも安心だよ。」ココは振り向かなかった


翌朝 霧が海の方に帰って行くのを見ながら

ぼくらは 三人で朝食を食べた

朝食が済み 庭に面したヴェランダの日陰で 寝転ぶ

小説の続きを読む 赤ワインにオレンジを絞ってサングリア

庭いっぱいの 色とりどりの花々


ココが 芝生を横切って 音も立てず 花壇のほうに行く

花壇のそばにしゃがんで 一心に花を見つめているようだ

しばらくして 妻もまた 音も立てず 花壇のほうに行く

そしてココの後ろに立つ ココの肩の辺りに影を落として 

二人は そんなふうに 無言で 花を見つめている


ぼくは うつらうつらしながら 思っていた

この 涼しい影の中 この寝椅子の上から 

そしてこの地上からいつの間にかぼくがいなくなったとしても

あの二人の女性の静かな生活は 何者にも邪魔されることなく

いつまでも 続いていくのだろうか


  


2025年1月4日土曜日

壁の花

                 山田リオCopyright©2009RioYamada


五月の第一日曜日 ケンタッキーダービーの翌日は

毎年 マリーの家の 昼食会に行くことになっている

庭一杯の 数百本のツツジは 今年も変わらずに美しい

築山の奥 広い芝生で もう クロケーを始めた人たち


日差しが強い 帽子をかぶってきてよかった

そう思いながらみんなと挨拶 おっと 帽子を取らなきゃ

レスターが亡くなって 六年 マリーは もう大丈夫だ

樫の木陰に仮設のバー そこで 冷たい飲み物をたのむ


気持ちのよい風が吹く 五月の朝のカンパリ・ソーダ

開け放ったダイニングルームには様々なチーズが並んで

ハモン・セラノの生ハムとフランスパンのサンドイッチ

右手にはワイングラス 左手には サンドイッチのお皿


音楽は聞こえない マリーはこんな時 音楽をかけない

鳥が啼いている なんの鳥だろう 音楽よりも好きだな

ダイニングルームの壁 小さな油絵の額がかかっている

沈んだ赤の色 花の絵 なんだか胸が痛くなるような絵


いつの間にか マリーが 僕のすぐ後ろに立っている

僕の肩に手を置く 手の温もりが肩につたわってくる

「これは、レスターが好きだった絵なの。」

すこし ふるえるような 小さな声で言う


見ると マリーは ルドンの花の絵を見ている

まるで 幼い少女のような表情で

「ここで食事をしていると、レスターが悪戯するのよ。

あの絵が、ときどき、カタカタ、って鳴るの。」


あの ラヴェルのパヴァーヌの 王女ような 

清らかな表情で マリーはつづける

「静かに。もうすぐ、あの絵が鳴るから・・そうしたら・・」 

その美しい老婦人と私は 壁の小さな花の絵を見つめて 耳を澄ませた



2025年1月2日木曜日

だいじょうぶ


ほんの数人のひとたちが 心から「いいね」と言ってくれるとき

あなたは 自信を持っていい 

それこそが いちばん信頼できる判断基準だからね

                         ヤマダ


2024年11月24日日曜日

靴の話

 ■2009/04/29 (水) 靴の話

                        山田リオ  


フリーマーケット(FLEA MARKET、蚤の市)で古い靴を見つけた。

ちょうど一年前、病気が悪化してどんどん体重が減っていくので、着るものがなくなり、古着を探しに行ったときだった。

それは、やわらかい、なめし革の革靴で、底はゴム製だった。
おそろしく汚れていて、革もカビが生えたようになっていて、でもなにか気になって、300円払って、買って帰った。

それから入院して手術、そして退院、自宅での永い回復期の間に、あの古靴が気になって、出してきた。
靴屋できれいにしてもらったが、まだ納得がいかず、自分で少しずつ磨いていった。
馬具、鞍や乗馬の長靴に使うミンク・オイルをよくすりこんで磨いていくと、灰色だった革が、だんだんと、きれいな薄茶色になり、それに、飴色というか、ハチミツ色の、やわらかな、ねっとりとした光沢が出てきて、なんとも言えない、いい味になってくる。

履いてみると、足に、まるで革の手袋のようにフィットする。
なんとも、気持ちがいい。
それから、散歩、仕事、どこへ行くにもその靴を履くようになった。
高価なイタリアの靴にも、ロンドンで、足に合わせて作らせたスエードの靴にも、もう見向きもしない。

すべての人が「美しい」と信じる物が、自分にとって美しいとは限らない。
すべての人が「つまらない」「汚らしい」「みすぼらしい」とする物が、自分にとって何よりも美しかったら、それで良い。
それはむしろ、幸運なことだ。実は、それこそが、人生からの贈り物だ。
それが、自分が自分という人間に生まれたことの意味だ。

さあ、その古靴を履いては磨き、磨いては履く毎日になった。(つづく)


■2009/04/29 (水) 靴の話(その2)

気になったのは、どこで作られた靴か、ということと、ゴム底なので、取替えが効かない点だ。
革靴なら、何度でも底革を替えてもらって、一生、履いていくことが出来る。こっちでは、それが当たり前のことだ。
しかし、ゴム底の靴は、そうはいかない。ゴムの終わりが、靴の終わり、だ。
そうなると、困った性格で、同じ靴がどうしても欲しい。

そこで、この靴の調査を始めた。当然、インターネットが役に立つ。
消えかかっていた靴底のマークから、アメリカで作られたことがわかった。
その靴屋に写真を送って問い合わせると、この靴は大変に古いもので、もう作っていないが、よく似たモデルならある、ということで、すぐに注文した。
やっと宅配で届いた靴を見ると、なるほど、同じ靴であって、しかし、全く違う靴だ。
なにが違うか。あのハチミツのような飴色のやわらかな革の光沢がない。
当然ながら、時間の経過を人の力で再現することは困難だ。
それに気がついて、憑き物が落ちたようになった。

なんのことはない。この靴を買った直後に、自分は、あの病院で死んでいた筈なのだ。
もし死んでいたら、もちろん、あの靴を履くこともなかっただろう。
トルストイの民話の主人公のように、棺おけに入ってから履くわけにはいかない。
私はあのとき、幸運にも生き延びたが、それでも、間違いなく、将来、この靴のほうが自分より長生きするだろう。
この靴が手に入った。そしてこの靴を毎日、好きなだけ履ける。
この幸運を感謝しよう。

2024年11月22日金曜日

一つ山を登れば、彼方にまた大きな山が控えている。

それをまた登ろうとする。力尽きるまで。

               中川一政 (1893~1991)

2024年11月16日土曜日

Acorn

 エイコーン、つまり、どんぐり。

道を歩いていて、どんぐりが落ちていると、

拾いたい衝動に駆られる。その衝動に抵抗できない。

とうとう拾ってしまった。

家に帰って、どうする訳でもなく、見ている。

別の日、またどんぐりを見つける。拾ってしまう。

どうすることもできない。

わけがわからない。困ったもんだ。

2024年10月12日土曜日

死を延期する

 生きることで、苦しむことで、失敗することで、

リスクを取ることで、与えることで、失うことで、

私は、私の死を延期する。

              アナイース・ニン (1903~1977) 山田リオ訳

2024年9月5日木曜日

所有

 時には、何かを所有しないで、見ているだけの方がいいこともある。

所有してしまうと、持ち歩かなければならないカバンが

どんどん増えていくだけだからね。

              トーヴェ・ヤンソン(1914~2001, フィンランド)山田訳