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詩日記
自信のない詩人、山田リオが書いた詩、作文など、いろいろです。 Copyright © Rio Yamada. Watermark テンプレート. Powered by Blogger.
2025年8月22日金曜日
2025年6月9日月曜日
2025年4月9日水曜日
2025年3月24日月曜日
自由
Cage、檻、鳥籠、
わたしは そんなもの いらない
わたしの 最期のとき
檻の中に閉じ込められたまま 死ぬのは いやだ
わたしは 自由な鳥や獣が そうするように
すきなときに すきな場所に行って そこで 最期を迎えたい
それが たったひとつの わたしの願いです
山田リオ
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2025年3月21日金曜日
2025年2月27日木曜日
2025年1月18日土曜日
2025年1月17日金曜日
静かな生活
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山田リオ Copyright©2007RioYamada
ココから電話があった 昨日の夜カーメルに着いたという
この週末に来られないか という 僕は 多分行けるけど
妻の予定は知らない そう答えた
ココは電話の向こうで 少し しんとしてから
またかけるね そう言って 電話を切った
ジョージは仕事が忙しいから 滅多に一緒に来れない
だからココは カーメルでは一人暮らしが多くなって
ニューヨークに住む僕たちに 来て欲しいわけだ
でも北カリフォルニアは遠い 簡単には行けない
妻が帰ってきて その話をすると 少し考えてから
隣の部屋に行った 考えてみたら 僕は今 暇だし
今年はペブルビーチで 全米オープンゴルフがある
六月になれば混んでいるから 行くのはむずかしい
しばらくして妻が戻ってくる 休みが取れたと言う
明日早朝の便が取れれば 月曜までの小旅行になる
妻はココに電話している 静かな声で話しているが
彼女の心が弾んでいるのがつたわってくる
ニューヨークから サンフランシスコに飛んで
小型機に乗り換え モントレーまでの短い飛行
白っぽい砂漠を越えて 松の多い崖の向こう側
滑走路に着陸すると 遠くの方の建物のところ
ココが手を振っているのが見える
妻とココが一緒にいると 双子のように似ている
二人が一緒にいる時は 他の友達といる時と違い
なぜかいつも 静かな声で ひそひそ 話をする
夕方 海の方から いつものように 霧がやって来る
霧は まず 入り江を満たし 低い所から だんだん
ミルクのように 海を そして陸を 覆い隠して行く
夕食を終えると まず 暖炉の薪に火をつける
この季節でも 夜は かなり冷え込むから
ぼくは暖炉のそばに寝そべって 本を読み始める
すると 珍しく ココが ぼくのとなりに座った
「で、どうなの?」 ぼくの顔を覗き込むように
ココが尋ねる 「すべて順調。」とぼくが答える
ココはぼくを見ているようで 実は透明なぼくを
通り越して その向こうがわを見ている気がする
「もしも、何か・・・」と ココが言う
「もしも、何か?」と ぼくが尋ねる
「あなたとジョージに、」と ココが言い直す
「あなたとジョージにね、もしものことがあったとしても」
ココは 遠くを見つめながら言う
「心配ないからね。」ぼくはだまって聞いていた
「私と彼女と二人で、この家で暮らすんだから。」
ココは そう言ってから立ち上がった
ぼくは 彼女の背中に向かって言った
「それなら、ぼくも安心だよ。」ココは振り向かなかった
翌朝 霧が海の方に帰って行くのを見ながら
ぼくらは 三人で朝食を食べた
朝食が済み 庭に面したヴェランダの日陰で 寝転ぶ
小説の続きを読む 赤ワインにオレンジを絞ってサングリア
庭いっぱいの 色とりどりの花々
ココが 芝生を横切って 音も立てず 花壇のほうに行く
花壇のそばにしゃがんで 一心に花を見つめているようだ
しばらくして 妻もまた 音も立てず 花壇のほうに行く
そしてココの後ろに立つ ココの肩の辺りに影を落として
二人は そんなふうに 無言で 花を見つめている
ぼくは うつらうつらしながら 思っていた
この 涼しい影の中 この寝椅子の上から
そしてこの地上からいつの間にかぼくがいなくなったとしても
あの二人の女性の静かな生活は 何者にも邪魔されることなく
いつまでも 続いていくのだろうか
2025年1月4日土曜日
壁の花
山田リオCopyright©2009RioYamada
五月の第一日曜日 ケンタッキーダービーの翌日は
毎年 マリーの家の 昼食会に行くことになっている
庭一杯の 数百本のツツジは 今年も変わらずに美しい
築山の奥 広い芝生で もう クロケーを始めた人たち
日差しが強い 帽子をかぶってきてよかった
そう思いながらみんなと挨拶 おっと 帽子を取らなきゃ
レスターが亡くなって 六年 マリーは もう大丈夫だ
樫の木陰に仮設のバー そこで 冷たい飲み物をたのむ
気持ちのよい風が吹く 五月の朝のカンパリ・ソーダ
開け放ったダイニングルームには様々なチーズが並んで
ハモン・セラノの生ハムとフランスパンのサンドイッチ
右手にはワイングラス 左手には サンドイッチのお皿
音楽は聞こえない マリーはこんな時 音楽をかけない
鳥が啼いている なんの鳥だろう 音楽よりも好きだな
ダイニングルームの壁 小さな油絵の額がかかっている
沈んだ赤の色 花の絵 なんだか胸が痛くなるような絵
いつの間にか マリーが 僕のすぐ後ろに立っている
僕の肩に手を置く 手の温もりが肩につたわってくる
「これは、レスターが好きだった絵なの。」
すこし ふるえるような 小さな声で言う
見ると マリーは ルドンの花の絵を見ている
まるで 幼い少女のような表情で
「ここで食事をしていると、レスターが悪戯するのよ。
あの絵が、ときどき、カタカタ、って鳴るの。」
あの ラヴェルのパヴァーヌの 王女ような
清らかな表情で マリーはつづける
「静かに。もうすぐ、あの絵が鳴るから・・そうしたら・・」
その美しい老婦人と私は 壁の小さな花の絵を見つめて 耳を澄ませた
2025年1月2日木曜日
2024年11月24日日曜日
靴の話
■2009/04/29 (水) 靴の話
山田リオ
フリーマーケット(FLEA MARKET、蚤の市)で古い靴を見つけた。
ちょうど一年前、病気が悪化してどんどん体重が減っていくので、着るものがなくなり、古着を探しに行ったときだった。
それは、やわらかい、なめし革の革靴で、底はゴム製だった。
おそろしく汚れていて、革もカビが生えたようになっていて、でもなにか気になって、300円払って、買って帰った。
それから入院して手術、そして退院、自宅での永い回復期の間に、あの古靴が気になって、出してきた。
靴屋できれいにしてもらったが、まだ納得がいかず、自分で少しずつ磨いていった。
馬具、鞍や乗馬の長靴に使うミンク・オイルをよくすりこんで磨いていくと、灰色だった革が、だんだんと、きれいな薄茶色になり、それに、飴色というか、ハチミツ色の、やわらかな、ねっとりとした光沢が出てきて、なんとも言えない、いい味になってくる。
履いてみると、足に、まるで革の手袋のようにフィットする。
なんとも、気持ちがいい。
それから、散歩、仕事、どこへ行くにもその靴を履くようになった。
高価なイタリアの靴にも、ロンドンで、足に合わせて作らせたスエードの靴にも、もう見向きもしない。
すべての人が「美しい」と信じる物が、自分にとって美しいとは限らない。
すべての人が「つまらない」「汚らしい」「みすぼらしい」とする物が、自分にとって何よりも美しかったら、それで良い。
それはむしろ、幸運なことだ。実は、それこそが、人生からの贈り物だ。
それが、自分が自分という人間に生まれたことの意味だ。
さあ、その古靴を履いては磨き、磨いては履く毎日になった。(つづく)
■2009/04/29 (水) 靴の話(その2) |
気になったのは、どこで作られた靴か、ということと、ゴム底なので、取替えが効かない点だ。
革靴なら、何度でも底革を替えてもらって、一生、履いていくことが出来る。こっちでは、それが当たり前のことだ。
しかし、ゴム底の靴は、そうはいかない。ゴムの終わりが、靴の終わり、だ。
そうなると、困った性格で、同じ靴がどうしても欲しい。
そこで、この靴の調査を始めた。当然、インターネットが役に立つ。
消えかかっていた靴底のマークから、アメリカで作られたことがわかった。
その靴屋に写真を送って問い合わせると、この靴は大変に古いもので、もう作っていないが、よく似たモデルならある、ということで、すぐに注文した。
やっと宅配で届いた靴を見ると、なるほど、同じ靴であって、しかし、全く違う靴だ。
なにが違うか。あのハチミツのような飴色のやわらかな革の光沢がない。
当然ながら、時間の経過を人の力で再現することは困難だ。
それに気がついて、憑き物が落ちたようになった。
なんのことはない。この靴を買った直後に、自分は、あの病院で死んでいた筈なのだ。
もし死んでいたら、もちろん、あの靴を履くこともなかっただろう。
トルストイの民話の主人公のように、棺おけに入ってから履くわけにはいかない。
私はあのとき、幸運にも生き延びたが、それでも、間違いなく、将来、この靴のほうが自分より長生きするだろう。
この靴が手に入った。そしてこの靴を毎日、好きなだけ履ける。
この幸運を感謝しよう。
2024年11月16日土曜日
2024年10月12日土曜日
2024年9月5日木曜日
2024年6月25日火曜日
森の情景 2003
by 山田 リオ12/16/2003
これは、九つの短い詩です。
子供の頃からくり返し聞いてきたロベルト・シューマン晩年のピアノ曲集「森の情景」
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Copyright©2003RioYamada
1.「森の入り口」
透明な光が あふれている
ここが 森の入り口だ
やわらかな 腐葉土を踏んで
森の中へと 伸びる小道
その森は だれもが 心の奥のほうに持っていて
心屈し 幻滅し 意気阻喪した時に訪れる
幼いころの思い出が いっぱい詰まった
心の森
2.「待ち伏せる猟師」
大きな木の下蔭にうづくまる
その腕には 黒く鈍く光る 銃
その時が来たら ずっしりと重い銃身から
爆発と硝煙 弾丸が 獣の皮膚と肉を貫く
そのときまで 猟師は 森の影のなかで
枯葉と土の匂いを嗅ぎながら うづくまる
3.「淋しい花」
霧で見えない 遠い あそこ
そこだけ 細い光が射していて
ちいさな 蒼白い花が 咲いている
その花は まえに 見たことがある
なつかしい思い 遠い 思い
その色も おぼえているのに
いつだったろう
見つめても 取り戻せない 遠いもの
細い光のなかの さびしい花
4.「呪われた谷」
石ころ混じりの坂道を下ると 太陽の光は失われ
木々に覆われた道は いよいよ暗く
薄明の中に沈む 場所がある
そこには かすかな 死の匂いさえ
しかし このなんという静けさ 安らかさ
このまま しずかに微笑んで
眠るように むこうがわに行ってしまおう
微笑みだけが溢れる 至福の静けさに
すべてを ゆだねてしまおう
5.「やさしい風景」
森の大木の蔭 うすみどりの 下草
若い常緑樹の葉の上に 金色の陽光が 踊る
その若葉も 下草も やわらかくて
どこかで 小川が流れる音が 聞こえる
それは 細い 小さい流れで その水にも
あの 金色の陽光が 踊っている
6.「森の宿」
もう すっかり暗くなった 森の
遠くのほうで 窓の灯りがゆれる
暖かい 灯りの色
足元に 気をつけながら
あの灯りのほうに向かって
ゆっくりと 歩いて行く
風にのって かすかに
人々の ざわめきが 聞こえる
薪の燃える匂い 煙の匂い
肉や 野菜が煮える 匂い
ああ 歌っている
なつかしい歌だ
みんなが 声をあわせて
あの なつかしい歌を
そうだ いまは あの宿が
わたしが 帰っていける
7.「予言の鳥」
鈍色の空 重たい雲
梢の高いところで 鳥が鳴いている
それは 淋しい 遠い 声
その声を 聴いていると なぜだろう
涙が 流れる
あの鳥は なにを言おうとしているんだろう
あの 静かな 鳥の唄
でも 聴かずにはいられない
あの 遠い 淋しい 鳥の唄
8.「狩りの歌」
遠くから響いてくる あれは銃を撃つ音
あの猟師たちが とうとう鹿を見つけて
銃を撃っている
あの 臆病な 黒目の大きな雌鹿を狙って
銃を打つ音が 森の中に 響く
9.「森との別れ」
わたしの 心の森よ
いつも いつでも そこにいてくれて
失意のとき 生きる勇気を失ったとき
わたしが帰っていける ただ一つの場所
あなたと 別れるのは 辛いけれど
わたしは 今 この森を出て
外の世界へ 行かなければならないのです
もう一度 あなたに 別れの言葉を
はかりしれない 感謝の思いをこめて
もう 振り返らずに 行きます
わたしの 心の森よ
Copyright©2003RioYamada
2024年6月13日木曜日
2024年6月3日月曜日
死刑
■2004/11/19 (金) 死刑
「死刑」山田リオ
死刑になるというそのとき
さいごに一本のタバコを吸わせてくれるということを聞いた
死刑になる人は
生きたいという願いはかなえられないが
いまから死ぬんだということを
前もって知ることができる
そしてそれはぜいたくなことなのかも知れない
死刑にならない普通の人は
自分がいつこの世を去って
あちらがわに行くのかということを
知らされずに
毎日を生きていく
今晩眠っている間に逝くのかもしれず
明日の朝に事故や災害で死ぬかもしれず
あと108年間長生きするかも知れないが
それを前もって知ることが許されないので
占い師やサイキックやいろんなものに
みんなはお金を払って
少しでも安心しようとする
わたしの最期のとき
わたしはタバコなんか欲しくない
そのかわり
どこかの山奥の谷川をさかのぼり源泉まで行って
冷たいきれいな湧き水を飲みたいかもしれない
薪と釜で炊いたばかりのあたたかいご飯を
梅干や海苔やちりめん山椒や焼いた塩鮭や明太と
食べたいかもしれない
何十年もの間毎日聴いてそれでも
まだ聴きたりないあの大切な音楽を
もういちど聴きたいかもしれない
林のなかの湿った空気を呼吸し木々の匂いを嗅ぎ
梢をわたる風の音を聞き
波打ち際の濡れた砂の感触を足の裏でたしかめ
海風と汐の匂いを体で吸い込みながら歩き
ああまだまだいくらでも浮かんでくるけれど
そのなかから
たった一つ選ばなければいけないとしたら
それはとてもできないことです
Copyright ©2004RioYamada
2024年5月17日金曜日
惑星 2004
山田リオ
グレープフルーツジュースはグラスからあふれ
オレンジ色のコンヴァーティブルは
海岸道路を 西に向かって 時速80マイルで疾走し
バットが硬球を真芯で捉え ボールは空に消えて行き
つまりすべては異常なし 特筆すべき変化もなく
純白のヨットの帆が 水平線に向かって遠ざかり
波の音が聞こえる午後二時の太陽は予定通りに運行し
ボーイングが発進する ジェットエンジンの音
エレキギターの ベースの ドラムセットの音
冷蔵庫の 扉が閉まる音 食洗機が終了する音
トイレのドアが閉まる音 水が勝手に流れる音
卵が割れる音 ワインを注ぐ音 ケチャップを絞る音
コンニャクを踏む音 ポテトを揚げる音
人間が物を食う音 飲む音 話す声 笑う声 叫ぶ声 泣く声
鼻をかむ音 くしゃみの音 咳の音 歯を磨く音 うがいの音
すべての人間が呼吸する音 すべての人間と動物が生きている
音 なんとかして 今日を生き延びようとしている 音
この美しい惑星が あらゆる物を乗せて 自転しながら
宇宙空間を移動していく
音 が Copyright ©2004RioYamada
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