2020年12月31日木曜日

あはは

 毎日、笑っていたい。それだけ。

それ以上のことは、願わない。望まない。



2020年12月25日金曜日

辞世

 

2018年9月9日日曜日


あの世からスマホで打つわ極楽なう
                say少納言

あなたらの気持ちがこんなにわかるのに言ひ残すことの何ぞ少なき
                           河野裕子
 

後の世も又後の世もめぐり会へ染む紫の雲の上まで
                                         源義経

この世をばどりゃおいとまに線香の煙とともに灰左様なら
                         十返舎一九
人魂(ひとだま)で行く気散じや夏野原 
                  葛飾北斎

葬式無用 戒名不用
         白洲次郎
     

余白

 



コーヒーの香りをデスクに置いたまま朝までひとりの余白に眠る
                             
                   大西久美子

           (「イーハト-ブの数式」より)

2020年12月24日木曜日

他人本位

 2014年11月16日日曜日

今までは全く他人本位で、そこいらをでたらめに漂よっていたから、
駄目であったという事にようやく気がついたのです。
私のここに他人本位というのは、自分の酒を人に飲んでもらって、
後からその品評を聴いて、それを理が非でもそうだとしてしまう
いわゆる人真似を指すのです           
           夏目漱石(1867 - 1916)

2020年12月9日水曜日

猫の

はるのよい かってしったる へいのうえ

たづくりは はにくっついて たべにくい

はととった こともあったな いまはむり

         (ねこはい)南伸坊(1947~)

きにいったひとは「ねこはい」のほん、かってね。ぶんこです。680えん。




2020年12月8日火曜日

また茂吉

雪山にむかひて歌を読まむとすしょぼしょぼとせる眼をもちて

                  眼(まなこ)

歌ひとつ作りて涙ぐむことあり世の現身よわが面をな見そ

                  現身(うつせみ)面(おもて)

全けき鳥海山はかくのごとからくれなゐの夕ばえのなか

            斎藤茂吉(1882~1953)

2020年11月28日土曜日

茂吉

わが生はかくのごとけむおのがため納豆買ひて帰るゆふぐれ

辛うじて机のまへにすわれども有りとしも無しこのうつしみは

             斎藤茂吉(1882~1953)


2020年11月26日木曜日

合掌

 人生は笑って生きるだけでいいんです。


         関 頑亭 (1919~2020)

2020年11月22日日曜日

後悔

仕事をしている間は、夢中で、非常に楽しい。

とくに、豊かな内容の原稿が来て、

それを、楽しみながらあれこれと考え、

書き、読み返し、書き直し、訂正し、

あれこれ工夫して書く時間は、本当に楽しい。

あっという間に時間が、日々がすぎて行く。

出来上がってしまって、原稿を送った後は、

大切なものを失ったようで、淋しい。

そんなことなら、もっと時間をかけて、

ゆっくりやるんだった、と後悔する。

でも、また仕事が来ると、

もう、楽しくて、どんどんやってしまう。

そして、仕上がってから、また、後悔する。

むづかしいものだ。

ところが、ときには、というか、しばしば、

送ってしまった後で、失敗に気がつく。

まったく、自分は、不注意で、愚かなやつだ。

しかし、後悔しても、もう、遅い。

でも、後悔。   やまだ

2020年11月10日火曜日

しばしばもわれに虚ろのときありぬうしろにかならず猫が来てゐる

                                                                                     小島ゆかり(1956 -)

2020年11月9日月曜日

背後

ひとつ気が付いたことがある。

それは、音楽を聞く時に、スピーカーをどこに置くか、と言うことで、

たまたま、ある位置に置いて、仕事をしながら聞いていると、非常に良い。

どういいのか、と尋ねられても、とにかく、いい、としか答えられないが、

まあ、そういうことだ。

で、その、最高のスピーカの位置は、自分の背後、真後ろ。

私の前にあるのは、PCのモニターとキーボード、そして背後にスピーカー。

正確に言うと、「背中の真ん中からまっすぐ後方」、およそ2m50cm。

それより近くても、遠くても、あまり良くない。そう言うことなのだ。



 街角に黒き日傘をとぢる指 あなたの顔が思ひ出せない

               大西久美子 「イーハトーブの数式」より

2020年11月4日水曜日

 あの風のことは憶えている、

あのライラックの花も、

あの灰色も、あの香りも、

あの歌も、そして、あの風も。

でも、あの天使が言ったことだけは、

どうしても思い出せない。

アレハンドラ・ピサルニクAlejandra Pizarnik(1936~1972) 訳:山田リオ

2020年10月27日火曜日

いつも

 いつも どんな時も 

ほんの一瞬でも ほんの少しでも 

心が沈むことがあってはいけない 

いつも どんな時も ほんの一瞬でも

心に怒りが生まれた時には

急いで 踏み消さなければいけない

                                          R.Y.

2020年10月24日土曜日

N先生


今日は、N先生のオンライン集中講義。

正味4時間、あっという間に過ぎた。

濃い時間だった。


 

2020年10月20日火曜日

堅い、そして、

 Baguette, バケット、ではない。バゲット、いや、バにアクセントではない、にアクセント。でも、最後のは、サイレントのT、母音は無し, 舌の先が出す t、という音だけ。何を言ってるんだか。気に入ったバゲットを常に探している。それも、硬いやつ。できれば、皮だけで、中身の柔らかい部分はなくてもいい、いや、ふわふわのパンは、ない方がいい。ああ言うものは、人生には必要ない。そう、硬い、皮だけの、baguette、どこかにないだろうか。でも、それだけではなくて、あの、焼きあがったバゲットの独特の香り、そして、あの、しっかりとした皮の部分を奥歯で何度も噛んで、噛み締めて、また噛んでいったときに出てくる、深い麦と酵母の味が更に大切なわけで、そういうやつにバター、それも無塩バターをつけるか、またはブリーなんかのチーズを乗せて、赤ワインを呑みながら食う。そう言う理想的なパンのある生活。これを、私は、幸福と呼ぼう。







2020年10月14日水曜日

2020年10月13日火曜日

今年も、友達が丹波の栗を送ってくれたので、  さっそく焼き栗にして、いただきました。    秋の味です。     や

 



2020年10月8日木曜日

夜明け前

眠れないまま明け方になって、ベッドの中でラジオを聴いていた。
 柳田邦男という人が、絵本のことを話していた。 
それを聴きながら、いろいろなことを思った。
 柳田さんが話した「星の王子さま」のこと、 
それから、なぜか、遠藤周作の「深い河」のこと。 
様々な出会いのこと、
そして、亡くなった叔父のことを思い出した。 
薔薇と盆栽を育てるのが好きだった叔父。 
小さい頃、母子家庭だった僕を、夏休みの間、
叔父の親戚の、海のそばの家にずっと泊まらせてくれたこと。 
大学生の時に、僕が大きな決断をする際、
非常に強い口調で、僕の決断を支持してくれたこと。 
後にも先にも、彼が、そういう真面目な話をしたのはその時だけだった。 
夜明け前のベッドの中で、その時のことを思い出していた。                         山田リオ
rio yamada photo

2020年9月27日日曜日

花柄のテーブルクロスのみ白しすべてのひととこころへだたる   永井陽子(1951~2000)

2020年9月23日水曜日

Muito obrigado.

いつもいつも ずっと 永いあいだ  読んでくれて ほんとう
に ありがとう。

2020年9月16日水曜日

外は 光が いっぱい

庭は 色が いっぱい 

それを 暗い部屋の 中から 見ている

暗い部屋の 中から

光あふれる 外の世界を 見ている

光あふれる うつくしい 世界を

    山田リオ Copyright ©2020RioYamada 


 ©RioYamada 


2020年9月13日日曜日

はこべ



私の所有に帰するなにものもあらざれば美しはこべのみどり 
        永井陽子(1951~2000) 私(わたくし)  美し(はし)

2020年8月30日日曜日

渡邊の叔母のこと 再録

 

■2006/08/19 (土) 

                          山田リオ
渡邊の叔母のことを書いておこうと思う。
亡くなられてからずいぶん月日が流れたのだが、いまだにこの人は側にいるような気がするのだ。
叔母と言っても、たぶん遠縁の親戚で、詳しいことは、今となってはわからない。
私が小学校に入った頃には、もう七十歳にはなっておられたと思う。
おそらくご自宅での居心地がよくなかったのか、頻繁に訪れて、仏間に座っておられた。話し相手といえば、小学生の私しかいないのである。
したがって、わたしが学校から帰る時間を見計らって訪問されたように思われる。

いつでも、完全無欠の上品な和服、そして羽織、白足袋の足の裏が汚れていたことなど、ただの一度もなかった。
わたしがどういう種類の子供であったのかもよくわかる。つまり、足袋の足裏の汚れなどを気にして見るような子供だったのだろう。
そういう子供だったからこそ、渡邊の叔母はわたしを話し相手に選んだのではないか。
小学校低学年のころから年配の女性の好む「枯れた」話題を一時間でも二時間でも話し合って、かつ退屈することはなかったのだろう。
そればかりか、彼女が決して口にすることはなくとも、どんな思いを抱いてその老後を生きていたのか、わたしは子供ながら心にしみて感じていた。
だからこそ、今になっても、ときどき彼女のことを思い出すのだ。
あの、しゃりしゃりの薄紫の羽織や、灰色の絽の着物の手触りと共に。

2020年8月25日火曜日

 





さあここであなたは海になりなさい
鞄は持っていてあげるから

         笹井宏之(1982~2009)

2020年8月24日月曜日

 終はらない夏が誰にもあることをさやいんげん刻みつつ思へり

                         笹井宏之(1982~2009)


2020年8月7日金曜日

淵と瀬

世の中はなにか常なる飛鳥川
昨日の淵ぞ今日は瀬になる

  古今和歌集 詠み人知ら

 


2020年8月4日火曜日

キョウ

 rio yamada photo

キョウデキルコトヲキョウヤル
イマハイマヲイキイキトイキル  

      ヤマダリオ

2020年7月29日水曜日

虫喰い

rio yamada photo 

いつの間にか
幼虫が 葉っぱを齧った
しかし
幼虫が 葉っぱをかじるのは
生きるため 育つために
ごく あたりまえこと

   山田リオ

2020年7月28日火曜日

2020年7月19日日曜日

情緒

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過去なしに出し抜けに存在する人というものはない。
その人とはその人の過去のことである。
その過去のエキスが情緒である。
だから情緒の総和がその人である。

            岡潔(1901〜1978

2020年7月15日水曜日

rio yamada photo

詩は 人生の証拠に過ぎない
もし 人生がよく燃ているなら
詩は ただの灰だ

   レナード・コーエン(1934~2016)  訳:山田リオ

2020年7月10日金曜日

木のあいさつ

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ある日 木があいさつした
といっても
おじぎしたのでは
ありません
ある日 木が立っていた
というのが
木のあいさつです
そして 木がついに
いっぽんの木であるとき
木はあいさつ
そのものです
ですから 木が
とっくに死んで
枯れてしまっても
木は
あいさつしている
ことになるのです

        石原吉郎(1915~1977)

2020年7月4日土曜日

Anat Cohen And Trio Brasileiro 'Murmurando'



またショーロです。
クラリネットのアナット・コーエンとトリオ・ブラジレイロの演奏は、好きなので。
これは、「つぶやき」という曲です。     ヤマダ

2020年7月1日水曜日

晴れた朝

rio yamada photo
友達のアダンソンハエトリグモ。
今朝も元気です。
すごいスピードで動き回っています。
彼は 多分
何ひとつ 心配な事がないようです。


2020年6月23日火曜日

rio yamada

思い出しているわけじゃない
うしろをふりかえっているわけじゃない

ただ 
あの色が
目の奥に残って
消えないだけ


        山田リオ Copyright©2020RioYamada

2020年6月19日金曜日

TRIO BRASILEIRO - VIBRAÇÕES (Jacob do Bandolim) - Douglas Lora, Dudu Mai...



トリオ・ブラジレイロというグループの演奏するショーロです。
詩から離れてきたようですが、ここでは随分前からブラジルのことを書いています。
ブラジルといえばボサノヴァ、という考えは狭すぎます。
ブラジルには様々な、素晴らしい伝統音楽がありますから。    ヤマダ

2020年6月10日水曜日

いつくしみ


母が己が独り児を命を賭けて護るように、
そのように一切の生きとし生けるものに対しても、
無量の慈しみ(いつくしみ)のこころを起こすべし。

     「スッタニパータ」より                                             
     ゴータマ・ブッダ(紀元前五世紀) 
         訳:中村元(1912~1999)

2020年6月7日日曜日

円空

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歓喜(よろこび)は いつも絶やせぬ春なれや
浮世の人を 花とこそ見れ

         円空  (1632~1695)

2020年5月31日日曜日

Lilly of the valley

谷間のユリ
鈴蘭
スズラン

スズランの香りを
香りを
言葉でいうのは
説明するのは

いまは きもちが
どうしようもなくて
考えようとしても
ゴミ屋敷みたいになっていて

スズランは 
居場所がないから
だから
見えないように
見えないところに置いた

          やまだ



2020年5月23日土曜日

Choro Club


日本では有名なのかもしれませんが、
私は、最近になって出会いました。
ショーロ・クラブというバンド。

日本人で、ブラジル音楽を演奏するグループです。
基本、Choroというブラジルの民族音楽を、
楽器だけで演奏します。
このアルバムはもう廃盤になりました。→

編成は、バンドリン、カヴァキーニョ、(どちらもマンドリンのような絃楽器)、
それにギターなどで演奏しています。

このアルバム以外では、youtubeなどの動画サイトにある、”Cafe Alpha" という曲が好きで、私は偶然この曲を聴いて、ショーロ・クラブに出会いました。
ローマ字読みで「チョロクラブ」という人もいますが、これは間違いです。
ポルトガル語で、ショーロというのが正しい発音です。
この言葉は「泣く」という意味です。

とにかく、今は、よく聴いています。
いつか、メンバーの誰かにお会い出来たらなあ、と思います。
                          やまだ



2020年5月22日金曜日

犀の角


犀の角のようにただ独り歩め。

      ゴータマ・ブッダ(紀元前五世紀)

      翻訳:中村元  (1912~1999)

2020年5月15日金曜日

葛切り

rio yamada photo

「くずきりあります」鍵屋良房梅雨滂沱

       楠本憲吉(1921~1988)

       かぎやよしふさつゆぼうだ

2020年5月12日火曜日

道ばたの罌粟



罌粟

芥子

ケシ

コクリコ

amapola 、アマポーラ(スペイン)

coquelicot、コクリコ(フランス)

poppy、ポピー(英国)

2020年4月21日火曜日

あを


あをぞらの青が失はれてしまふ汝を抱きしめてゐるあひだにも
rio yamada

            笹井宏之(1982~2009)

                                           汝(なれ)

2020年4月4日土曜日



わが胸をのぞかば胸のくらがりに桜森見ゆ吹雪きゐる見ゆ

微かなる風ある空かさくらばな雪片のごとしばし宙舞ふ


しんしんと頭の底にも陽は差してそこも桜の無惨の白さ


花朽ちて沈みてゆきし野の井戸の無明無限の水深想ふ


             河野裕子(1946~2010)


2020年4月3日金曜日

あしたのこと

rio yamada

ああ
そうだ
そうだよね

きょう どうなるかだって
わからないんだから
あしたのことを しんぱいして
こころを ざわざわさせても
それは まるで むだなこと
あした どうなるか なんて
わかるわけが ないから
こんばん ねるときには 
なにも かんがえないで
そのまんま ねむればいい
あしたのことは
あしたのあさ まだいきていたら 
そのときに しんぱいしよう
そうしよう

           山田リオ

2020年4月1日水曜日

そこをなんとか

rio yamada

まあ ご多忙でいらっしゃるのは
よくよく分かっているんですが
ここは とにもかくにも
非常に重大な局面でございますので
なんとか ですね
やおよろずの 全員に ご集合いただいて
総力あげて なんとかしていただく
と いうようなことは
お願いできませんでしょうかね・・・

          合掌 平身低頭 山田

2020年3月31日火曜日

さりながら


さりながら死にたくもなし年の暮れ

        七代目三笑亭可楽(1886~1944)


      *さりながら(でも、だけど)

2020年3月29日日曜日

オレンジ


オレンジを洗う水を止めたら鳥の唄

          山田

(カリフォルニアの砂漠に住んでいた頃のやつを思い出したので。)

2020年3月25日水曜日

ほほえみ


あめつちにわれひとりゐてたつごとき
     このさびしさをきみはほほゑむ

   (救世観音をみて、 会津八一)

2020年3月24日火曜日

ひとり

rio yamada

若い人にとって、孤独は悲しみだ。
でも、より成熟した人にとっては、
孤独は喜びになる。

アルバート・アインシュタイン(1879~1955)

2020年3月18日水曜日

rio yamada

朝 ウグイスの唄で目をさます
ウグイスは 三日間唄ってから
次の目的地へ 旅立った
静かな朝が 戻ってきた
いつもとおなじ 春の朝
オナガとムクドリは ごゆっくり
陽が昇ってからの ご出勤
シジュウカラも まだ来ない
おだやかで 平和な この時間 
鳥獣蟲魚 みんなが待っていた 春

           山田リオ

2020年3月16日月曜日

拒絶



「わたしなんかをメンバーにするようなクラブに、
わたしは絶対に入りたくない。」

    グラチョ・マルクス
    Groucho Marx(1890~1977)

2020年3月11日水曜日

朝食



朝食が楽しみだ。
なぜかというと、パンが好きだから。

ふわふわ、しっとり、もっちり、ではなく、
硬い、固い、堅い、どっしり、しっかりした、
噛んで、噛んで、味が出てくるようなパン。
ゴッホの「ジャガイモ」の絵の農民が食べるような、
ライ麦の味と香りがする、
たくましい、茶色いパン。

朝食に、そういうパンを、
奥歯で、よくよく噛んで食べる。
夜、ベッドに入る時、明日の朝食のパンを思う。
明日の朝食に、あのパンを食べるまでは、
なんとか、生きていたい。
そう願い、祈って、
わたしは眠りに就く。

          山田リオ

休符

rio yamada

ちょっと休んで
また翔びます
翔んだら
ちょっと休みます

****************
写真は、今朝撮りました。
はい。三月十一日。
ほんと。
信じられなかったけどね。
風が強かった。
去年の夏の写真ではありません。
           やまだ
          

2020年3月7日土曜日

本牧亭



講釈場すくなくなりし袷かな

(こうしゃくば少なくなりしあわせかな)

       増田龍雨(1874~1934)

+++++++++++++++++++++
  
本牧亭(ほんもくてい)は、1857年(安政四年)にオープン、1990年に閉場した、東京で最後の講談専門の寄席だった。
上野広小路の交差点から上野公園の方に向かって最初の狭い路地を左に曲がったところにあった。
現在あるトンカツ屋さんの左側、筋向かいの辺りだったと思う。(2020年現在)


2020年3月4日水曜日

いのち


「この世界は美しいものだし、人間の命は甘美なものだ」

           ゴータマ・ブッダ (紀元前5世紀)
             訳:中村元(1912~1999)
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