2012年12月31日月曜日
Everything
紅白は、録画しておいたのを早回しで見て、五分で見終わった。
でも、Misiaの歌だけは、はじめから終わりまで、聞いた。
風が吹いていた。
日本は現在、元日の午前三時半ごろ。
こっちは大晦日の朝です。
快晴。
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紅白
2012年12月25日火曜日
今年のクリスマス
24日、クリスマス・イヴは何の予定もなかったので、テレビで日本からのニュース映像を見ていた。
非常に激しく雪が降っていて、寒そうだ。
こっちも夜は冷え込むが、寒いと言っても、せいぜい零度で、日本の寒さとは比較にならない。
それでも冷たい雨の合間に、ハチドリが家の餌場にやってくる。
夕方になって、暇なので、車で小一時間離れた日本人街に買い物に出た。
イヴということもあって、高速道路は混んでいたが、着いてみると、マーケットは閑散としていた。
餅、黒豆、などを買ってから、近くにある、焼き魚で人気の食堂に行ってみると、中は灯りが消えて真っ暗だった。
しかたなく、もとのマーケットに戻る。
いくつかの食べ物屋はまだ営業していて、通路のテーブルで食事している人たちがいる。
そこで、炭火焼きの焼き鳥屋「新撰組」で「焼き鳥弁当」4ドル(350円)を注文する。
オーダー待ちの人が待っていて、「30分くらい待ちますけど、いいですか?」と聞かれても、いいです、と言うしかない。
炭火で焼ける肉と醤油の、たまらない香りを嗅ぎながら待っていて、気がついたら、そのとなりがシュークリームで人気の「ビアード・パパ」(日本のチェーン店)だということに気がつく。
食後には「フォンダン・オ・ショコラ」を食べよう。
そうしよう。クリスマスだし。今日は特別だ。
この、温めたフォンダンにスプーンを入れると、中の熱いガナッシュ、生チョコレートがとろりと溶けて流れ出す。
それを想像しながら待っていたら、「49番のお客さん!」という声。
焼き鳥弁当が出来上がったのだ。
通路のわきの貧しいテーブルで、通行人に覗かれながらのクリスマス・イヴのディナーだ。
炭火で焼けた、熱々の鶏肉と葱、そして、つくね、焦げた肉と脂で味と香りが付加された、醤油と砂糖のたれが炊き立てのごはんに染みて、添えられた紅しょうが、そして、ほんのすこしだけ飯にふりかけた刻み葱も、絶妙だ。
飲み物はもちろん、ブルゴーニュの赤ワインでも吟醸酒でもなく、カゴメの六条麦茶だ。
食べ終わって、すぐに、となりのビアード・パパでフォンダン・オ・ショコラ、2ドル50セント(210円)を温めてもらう。
とろとろに溶けたチョコレートの香りがたまらない。あっという間に、食べてしまった。
すると、フォンダン屋の親父、この人は中国人なのだが、休憩に入ったらしい。
隣のテーブルに座って、同じく焼き鳥弁当を食べ始める。
すっかり満足して、おやじに挨拶してから、帰ることにする。
どんなに高価なフランス料理よりも豪華な、今年のクリスマス・ディナーだった。
Copyright © 2012Rio Yamada
非常に激しく雪が降っていて、寒そうだ。
こっちも夜は冷え込むが、寒いと言っても、せいぜい零度で、日本の寒さとは比較にならない。
それでも冷たい雨の合間に、ハチドリが家の餌場にやってくる。
夕方になって、暇なので、車で小一時間離れた日本人街に買い物に出た。
イヴということもあって、高速道路は混んでいたが、着いてみると、マーケットは閑散としていた。
餅、黒豆、などを買ってから、近くにある、焼き魚で人気の食堂に行ってみると、中は灯りが消えて真っ暗だった。
しかたなく、もとのマーケットに戻る。
いくつかの食べ物屋はまだ営業していて、通路のテーブルで食事している人たちがいる。
そこで、炭火焼きの焼き鳥屋「新撰組」で「焼き鳥弁当」4ドル(350円)を注文する。
オーダー待ちの人が待っていて、「30分くらい待ちますけど、いいですか?」と聞かれても、いいです、と言うしかない。
炭火で焼ける肉と醤油の、たまらない香りを嗅ぎながら待っていて、気がついたら、そのとなりがシュークリームで人気の「ビアード・パパ」(日本のチェーン店)だということに気がつく。
食後には「フォンダン・オ・ショコラ」を食べよう。
そうしよう。クリスマスだし。今日は特別だ。
Copyright © 2012Rio Yamada
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それを想像しながら待っていたら、「49番のお客さん!」という声。
焼き鳥弁当が出来上がったのだ。
通路のわきの貧しいテーブルで、通行人に覗かれながらのクリスマス・イヴのディナーだ。
炭火で焼けた、熱々の鶏肉と葱、そして、つくね、焦げた肉と脂で味と香りが付加された、醤油と砂糖のたれが炊き立てのごはんに染みて、添えられた紅しょうが、そして、ほんのすこしだけ飯にふりかけた刻み葱も、絶妙だ。
飲み物はもちろん、ブルゴーニュの赤ワインでも吟醸酒でもなく、カゴメの六条麦茶だ。
食べ終わって、すぐに、となりのビアード・パパでフォンダン・オ・ショコラ、2ドル50セント(210円)を温めてもらう。
とろとろに溶けたチョコレートの香りがたまらない。あっという間に、食べてしまった。
すると、フォンダン屋の親父、この人は中国人なのだが、休憩に入ったらしい。
隣のテーブルに座って、同じく焼き鳥弁当を食べ始める。
すっかり満足して、おやじに挨拶してから、帰ることにする。
どんなに高価なフランス料理よりも豪華な、今年のクリスマス・ディナーだった。
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焼き鳥、フォンダン
2012年12月12日水曜日
「作品第1004番」
宮澤賢治
今日は一日あかるくにぎやかな雪降りです
ひるすぎてから
わたくしのうちのまはりを
巨きな重いあしおとが
幾度となく行きすぎました
わたくしはそのたびごとに
もう一年も返事を書かない
あなたがたづねて来たのだと
じぶんでじぶんに教へたのです
そしてまったく
それはあなたのまたわれわれの足音でした
なぜならそれは
いっぱい積んだ梢の雪が
地面の雪に落ちるのでしたから
■2002/05/03 (金) 作品第1054番
宮澤賢治
何と言われても
わたくしはひかる水玉
つめたい雫
すきとほった雨つぶを
枝いっぱいにみてた
若い山ぐみの木なのである
(雫=しずく)
今日は一日あかるくにぎやかな雪降りです
ひるすぎてから
わたくしのうちのまはりを
巨きな重いあしおとが
幾度となく行きすぎました
わたくしはそのたびごとに
もう一年も返事を書かない
あなたがたづねて来たのだと
じぶんでじぶんに教へたのです
そしてまったく
それはあなたのまたわれわれの足音でした
なぜならそれは
いっぱい積んだ梢の雪が
地面の雪に落ちるのでしたから
■2002/05/03 (金) 作品第1054番
宮澤賢治
何と言われても
わたくしはひかる水玉
つめたい雫
すきとほった雨つぶを
枝いっぱいにみてた
若い山ぐみの木なのである
(雫=しずく)
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宮澤賢治
2012年12月11日火曜日
旅
山田リオ
ある日、思い立って、旅に出る
どこへ?もちろん、日本へ
日本のどこに行こうか
それはもちろん、雪の降る北国がいい
できることなら、電車を降りて、駅を出たら
そこはもう夜で、雪が降っている
雪で白くなった道を渡れば
そこに、小さな居酒屋があるから
服の雪を払ってから、その居酒屋に入ろう
カウンターに座ったら、その土地の酒を冷で
そして、肴には赤魚の煮魚なんかもたのんで
呑みながら、地元の人の話しも聞き、話し、笑い
すっかり身体もあったまって
お酒もまわってくるから、そこで
一番近い温泉はどこか、と訊ねると
タクシーで30分くらいのところに
小さい温泉宿があるという
電話をかけてもらうと、都合よく、空きがあるというので
お勘定を払って外に出れば
雪はますます激しく降っていて
駅までの道を歩いて行くのも、冷たくて気持ちがいい
そこでタクシーを拾って、さっき聞いた温泉に向かう
宿に着いたら、さっそく露天風呂に入り
あったまったら、部屋に戻って、呑みなおそう
夜の雪山に入って凍えて死んでしまおうなんてことは夢にも思わないで
暖かい布団に入って、いい気持ちで眠ってしまえばいいのさ
Copyright © 2012Rio Yamada
ある日、思い立って、旅に出る
どこへ?もちろん、日本へ
日本のどこに行こうか
それはもちろん、雪の降る北国がいい
できることなら、電車を降りて、駅を出たら
そこはもう夜で、雪が降っている
雪で白くなった道を渡れば
そこに、小さな居酒屋があるから
服の雪を払ってから、その居酒屋に入ろう
カウンターに座ったら、その土地の酒を冷で
そして、肴には赤魚の煮魚なんかもたのんで
呑みながら、地元の人の話しも聞き、話し、笑い
すっかり身体もあったまって
お酒もまわってくるから、そこで
一番近い温泉はどこか、と訊ねると
タクシーで30分くらいのところに
小さい温泉宿があるという
電話をかけてもらうと、都合よく、空きがあるというので
お勘定を払って外に出れば
雪はますます激しく降っていて
駅までの道を歩いて行くのも、冷たくて気持ちがいい
そこでタクシーを拾って、さっき聞いた温泉に向かう
宿に着いたら、さっそく露天風呂に入り
あったまったら、部屋に戻って、呑みなおそう
夜の雪山に入って凍えて死んでしまおうなんてことは夢にも思わないで
暖かい布団に入って、いい気持ちで眠ってしまえばいいのさ
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旅
2012年12月6日木曜日
2012年12月3日月曜日
草の根っこ
カマドウマ(ベンジョコオロギ) |
小さいときから、自分には、(これだ、とは言えないのだが、)
人間として、重大な欠陥がある、という確信のようなものがあった。
それは今でも、自分の中にある。
雑草取りをしたあとに残った、深い根っこのように残っている。
普段は忘れているのだが、それは今もそのまま、土の中にある。
しかし、今思うと、あの、抜き残した雑草の根は
自分だけの物ではないような気がする。
それはたぶん、多くの人が持っているのだが、すっかり忘れていて
でも、心の裏側の、日陰の、湿った
カマドウマが棲むあたりの土の中に埋まっていて
普段は忘れているのだが、なにかの拍子に思い出す
あの、古い後悔のような、草の根っこのことだ。
Copyright © 2012Rio Yamada
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草の根っこ
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