2012年3月30日金曜日

片思い

13cmX29cm

            山田リオCopyright©2012RioYamada
 
別れは、いつか、やってくる
たとえ残されたものが
人間ではなかった場合も
鳥は鳥、獣は獣なりに
それぞれの感情を抱いて
自分の生涯を生きてゆく

しかし、相手が物であった場合には
そのへんの事情は、ちがってくる
つまり、持ち主が死ねば
物は、残されるわけだから
かってに歩いたり飛んだりして
どこかに行くこともできない

さて、この大きな、重い、青いタイルは
ずっと昔に、ある田舎町で偶然に出会い
生活を共にすることになった
見れば見るほど、得体が知れない
ある意味、不気味でさえあるのだが
いつも気がつけば傍らにあった

他の人にとって、このタイルは
ゴミに見えるかもしれない
ぼくが逝ったあとで、だれが手にするにせよ
この、金銭的には無価値な瀬戸物に
ぼくのような馬鹿げた愛着を持つ人は
おそらく、いないだろう

こういうわだかまりは
なにかを、または誰かを
愛してしまった者の宿命なのだが
人はだれも、旅立つときには
その大切な人や、物を、残して行くしかない

滑稽なことに、物には思いはないのだから
人がいくら物を愛しても、別れを惜しんでも
それはいつでも、人の片思いに終わる
人の勝手な思いなんか、物の知ったことではない。

  (All rights reserved 、2012 Rio Yamada
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2012年3月24日土曜日

蟲のように


                       山田リオ

 手術のまえに 医師から言われたことは
術後の平均生存年数が十年だ ということだった
それを聞いたときに思ったのは
十年の間 なにをすればいいのか ということだった

あれから三年半たった 今
計算上 あと六年半の命のはずが
昨日 検査があって そのあとで 医師が言った
感染症もなく ほかに何の問題もない こういうケースは希であって
これなら 十年以上生きられる ということ
それどころか 医療技術の進歩を考えれば
十五年か それ以上 生きられるかも知れない

十五年か
十五年 なにをすればいいのか
というふうには もう 考えなかった

ただ生きればよいのだ と思った
鳥のように 獣のように 魚のように
蟲のように でも 蟲よりも ずっとずっと永い間
ただ 生きればよいのだと
ぼくは そう思った

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2012年3月21日水曜日

茨木のり子 再録

■2006/09/14 (木) 自分の感受性くらい
 「自分の感受性くらい」  茨木のり子


ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて


気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか


苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし


初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった


駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄


自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

2012年3月16日金曜日

おかえり。




今日、仲良しのリスが帰って来ました。ほぼ三ヶ月ぶりの訪問です。

猫かカラスにやられたと思っていたので、驚くやら、嬉しいやら。

他のリスは来ていたのですが、うちの彼女とちがって、肩に登ったり、家の中まで入って来たりしないので、すぐに別のリスだとわかりました。だからアーモンドもあげなかった。

久しぶりの彼女は、おなかのあたりがだいぶ痩せているので、冬眠していたようです。

いつものように、入り口で正座のご挨拶のあと、
アーモンドを8個、一気に食べました。

今日は、お祝いです。

2011年、12月2日にも、リスさんの記事があります。 
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2012年3月13日火曜日

途中


 
ジェレミー・アイアンズ曰く、
「わたしは努力を信じない。もしそれが困難なら、やめておく。そして、それがそっちから自分のほうにやって来るまで待つ。
それがいつか、自然に起こるまで、待っていればいい。」 

待っていたら、けっして来ず、忘れていたらやって来る、ということもあるけれど。
じゃ、待たないほうがいいのか。 

わたしの場合、何一つ、「やりとげたこと」
がない。
「この道ひとすじ」の正反対だ。
「この道ひとすじ」の職人さんは尊敬するけれど。
自分は、なにをやっても、中途半端。
今でも、すべてにおいて、三歳児だ。
大目に見ても、せいぜい中身は、幼稚園。
発展しない、ずっと永遠に途中、っていうのもある。

手を動かして、身体を使ってなにかいろいろ作っていれば、
生きてさえいれば、なにかしら、可能性はあるのではないか。
たとえそれが、毛虫やミミズの一歩分の成長だったとしても。

何歳になっても、途上、いや途中か。それがいい。
ずっとそうやって、毛虫のように、動いて、
そして笑っていられたらいいと思う。 
でも、たぶん、毛虫は、笑わないと思う。


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2012年3月3日土曜日


遠くの山には雪がありませんが、これは夏に撮影したからで
今は白く雪がつもっています。

昨日の夜で、仕事が一段落しました
ほとんどの場合、仕事をくれるのは初対面の人で
なぜか、ぼくを信じて、仕事をまかせてくれるわけで
リスクも伴うのに、ありがいことです
多くの場合、数日、または数ヶ月、いっしょに働いて
またさよならを言って、別れるわけですが
そのときに、あのひとたちはぼくのなかに、いつも
おおきな勇気を置いていってくれます
感謝です

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