2013年8月27日火曜日

やきとり

                          山田リオ

焼き鳥、と言っても、ここは鶏肉専門店ではありません。
この町では、たぶん唯一の、博多風焼き鳥の店。
つまり、鶏、豚、牛、魚、野菜、すべて焼いてくれる。
ここでは、それをぜんぶひっくるめて、「焼き鳥」と言う。

すわると、とりあえず、キャベツが大皿に山盛りで出てくる。
これは、言うまでもなく、柚子胡椒と、ポン酢でいただきます。
もちろんキャベツは、おかわり自由。
キャベツを食べながら、芋焼酎を飲む。

そこで、あゆむさんが、あの美声で「乾杯~~」と叫ぶので、
こっちも乾杯する。
乾杯しながら、注文書類に第一ラウンドの注文を書き込む。

当然の事ですが、豚バラに始まって、豚バラに終わる。
その間に、鶏つくね、鶏のネギマ、軟骨、タマネギなどを
豚バラ
丁寧に注文書類に書き込んで行きます。

何一つ言わないでも、すわったとたんに、
あゆむさんは、もう、豚バラの焼きに入ります。
備長炭はすでに真っ赤。
あゆむさんは、けっして急ぎません。
じんわりと、ゆっくりと焼きます。
あたたかな焼き色をつけながら、
毒蛇のように、急がない。

あゆむさんが好きなのは、焼きが上手いこともあるけれど、
その人柄ももちろんなんですが、店で一番の男前だということ。
若くはないけど、男前。
すみません、キャベツ、もっとください。

なんて言ってる間に、海老が焼けています。
大ぶりの、殻付きブラックタイガー、これは、焼けても、殻を剥かないで、
そのまま、マヨネーズを付けて食べます。
殻が香ばしいんだからね。
殻を剥いちゃあ、ぶちこわしです。
あ、芋焼酎、ロックでもう一杯ね。

カウンターの中には、やたらに日本語が上手い、白人のイアンさんもいる。
イアンさんが、アメリカ人の注文を取ってる。
ちょっと邪魔してやろう。イアンさん、ちょっとちょっと、
どうでもいいけど、あんた英語うまいねえ。

タマネギが旨い。アスパラを豚バラで巻いたのも、いい。
しいたけもね。ああ、もう第一ラウンド終わりだ。
じゃ追加の第二ラウンドね。
豚足ね、それから、鶏手羽先、牛肉はなにがいいの?ああ、それがいい。
それから、軟骨もう一回たのもう。塩で。
で、豚バラ、4本。

なんて言ってる間に、もう焼きおにぎりの時間です。
焼きおにぎりですが、三角の、あの、角っこのとこが、一番旨いのね。

はい。帰ります。
ごちそうさま。
また来ます。              
                           Copyright ©2013RioYamada

 

名刺 2005/05/06



                    山田リオ
 

名刺をつくろうと思う
ざらざらした、厚手の和紙で
わら屑や木の繊維などが混じっている
ふちは切り落としではなくて毟り取ってある
そういうやわらかであたたかみのある素材にしよう

でもその名刺に
名前は印刷しないでいい
もしどうしても、と言うなら
なにかあだ名ならかまわない
「猫の帽子屋」とか、そんなふうな名前がいいだろう
しかし、名前なんか、なくていいのだ

会社名は書かない、そんなものはないし、無意味だから
したがって、肩書きも役職も住所も電話番号も
メールアドレスもなにもかもいらない
どこの学校を出たとか
どんな服を着ているとかどんな時計をしているとか
どんな車に乗っているとかそういうことも必要ない

ではその名刺に何を書くのかと言うと
わたしの好きなものを書いていく
好きなもの、好きなこと、好きな場所、好きな時間
好きな空、好きな雲、好きな風、好きな匂い
そうやって書いていったら
名刺は分厚い本になるだろう
でも、本では書けないこともある
好きな音、好きな音楽、好きな食べ物
そういうことを伝えるためには
本でも絵でもCDでも足りないので

けっきょくは
名刺を手渡すその人と
いっしょに生活していくしかないだろう
毎日の生活のなかで伝えていくしかないだろう
そうやって いっしょの食卓で同じものを食べ
同じ風のなかを肩をならべて歩き
自分自身の声と言葉で話しあい
同じ音楽を聞き同じ空気を呼吸し
同じ時間に同じ空や雲を見て
そうやって毎日を、季節を、年月を生き
そうやって人生を生きていって
いつか名刺は完成するだろう
わたしが逝ってしまったあと
そのやわらかな名刺は
そのひとの手のなかに残るだろう
そんな名刺なら
一枚
あってもいい
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2013年8月21日水曜日

道 


          2009/04/10 山田リオ

中学生のころ 下町の駅で
坂正義と出会った
彼は 一冊ずつ手作りした自作の詩集を 50円で売っていて
ぼくは それを買った
メガネをかけた 三十代の背の高い大人で
でも どこか貧しそうなようすの 坂正義が
中学生に 詩集を50円で売った時
彼が どういう気持ちだったのかは
その時は 想像もしなかったし
今 考えても わからない

しかし 今でも まだ憶えている
詩集の中の ひとつの詩の 末尾の部分 

盃(さかづき)の 伏せてあるまま
行かねばならず じっと行く
淋しきかぎりぞ この道は


というものだ
詩集を渡してくれた時の 坂正義は
背中をしっかりのばし 唇をひきしめて
厳粛な あるいは 寂しそうな表情だった気がする

もしかしたら 今はもう
亡くなっているのかもしれない
あの 駅の詩人 坂正義は
有名になりたい などとは
けっして思っていなかっただろう
彼もまた ぼくとおなじように
自分の書いた詩を ただ どこかのだれかに
読んでもらいたかった それだけなのだ 

ぼくに背をむけて 手に何冊かの詩集を持って
改札口のほうに 一歩一歩ゆっくり
疲れたような足取りで 歩いていく あのやせた背中を
ぼくは 今も 忘れてはいない
彼の詩が 良いのか 良くないのか
そんなことは わからない
しかし あの時代に そして 今の時代にも
ただ一人 自分が信頼できるのは
あの 坂正義なのかもしれない
今になって そう思う

                                 
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