2011年11月25日金曜日

ダウントン・アビー、気になる二人


ダウントン・アビーの人々は、みんな魅力的ですが、現在、気になっているのが二人います。

まず貴族の末娘のスィビル。
若く美しい女性で、かつ天使のように純真なんですが、それだけに、彼女がどうなっていくのか心配です。あとの二人の姉は、それぞれに、違った「したたかさ」があるので、何があっても生き残れるような気がしますが、この娘はねえ。ほんとに心配・・・
彼女の絶えず変化する表情、しぐさ、そしてドレスを見るのも楽しみ。

もう一人の注目人物は、召使のトーマス。これは、とんでもない悪党です。
悪い人間ですが、その影の部分、隠された部分が気になります。
彼にどんな過去があるのか、そしてどんな運命がトーマスくんを待っているのか。

ところで、第二話で、トーマスに対して、ある人物が言い放つ言葉が心に残りました。

それは、"One swallow doesn't make it a summer."
これはイディオム(慣用句)で、意味は、
「ツバメが一羽来たからと言って、夏になったとは限らない」ですが、
この場面で、この言葉の意味は、「一度だけの親密な関係があったからと言って、それが愛につながるとは限らない。」というくらいの意味でしょう。
はっきりと言わずに、でも言いたい事はしっかり伝わる、そういうわけです。

この「ツバメ」は、いろいろな場面で使えます。
たとえば、スポーツで「最初に優勢だったからと言って、勝利できるとはかぎらない。」
というように。 (ヤクルト・スワローズの話ではありませんが。でもツバメだね・・)

しかし、直接的な言い方のほうが現代の会話では多いような気がします。
ぼくはアメリカでの暮らしが永いのですが、不勉強で、こういうイディオムは、小説や映画以外ではあまり気にしないで来ました。
今、改めて、ダウントン・アビーの第一シーズンを見ていて、会話の中で使われるイディオムの婉曲、柔軟さ、その間接的な、でもユーモアと含みを持たせながら相手に意思を伝える力、それは、英国の伝統の力だなあ、と思いました。
ウッドハウス P.G.Wodehouse の小説が好きなのも、たぶん同じ理由です。

そう言えば、日本では、今は亡き吉行淳之介さんの対談や小説にも、
そういう芳醇さがあったなあ。                          山田リオ
 
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2011年11月20日日曜日


空が砕けた

道端に、割れた鏡が捨ててあった

その砕けた破片一つずつに空があった

最近、どういうわけか

光という言葉をよく使う

数年前まで、夜の闇が怖かった

今は、怖くない、と言うより、安心

そこが変わったと思う

光はいい

でも闇だって、悪くない

                   山田リオ

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2011年11月9日水曜日

山と雲


雨があがった朝の透明な空気
空いっぱいに雲が動く
空気が洗われて
遠くの山がはっきり見える

ガラスが汚れているのは残念だ
でもあの山と風とあの雲と
今朝だけのすきとおった空気
またすぐ山はスモッグで霞む
だから撮れるのは今だけ
それにしても
ガラスが汚いのが残念だ

2011年11月7日月曜日

一石路の俳句


シャツ雑草にぶっかけておく

麦負うて来て汗うつくしき青年なり

一日のポケットから何もかもつかみだした

屋根屋根の夕焼けくる明日も仕事がない

暗い山のほかはびっしり星だ

お前が死んでからも来る新聞を畳にひろげる

けもののごとく来てがさがさと冬の部屋をさがす

平和がほしい誰にもにおう夜の木の芽

                          栗林一石路(1894~1961)

2011年11月1日火曜日

散歩道



近所の遊歩道
右にすこし見えるのが車が通る道路で
これは人と自転車だけが通る道
左が自転車専用で右は徒歩の人間
または犬もいっしょ
これを全部歩くと片道約二時間
けっこうな距離
朝日が昇ってくる
むこうから誰か歩いて来る
近所の雄鶏がコケコッコー
通訳いたしますとつまり
「アサーーーー!」
と言っているのです