2021年1月28日木曜日
可楽
| ■2011/04/01 (金) |
*海棠や悩みなき日のつづきけり
夕月や青田をわたる風の色
片耳はコオロギに貸す枕かな
枯蓮に師走の水の動かざる
さりながら死にたくもなし年の暮
七代目三笑亭可楽(1886~1944)
海棠(かいどう)
2021年1月27日水曜日
仲間 2006
| ■2006/07/02 (日) 蜂 |
山田リオ
静かだったあの町の 家の小さな庭に
蜂が来るようになった
スズメバチが 最初の常連で
アシナガバチも 来るようになった
毎朝 水を飲みに来るのだ
なにしろ ここは砂漠の町なので
すべてが乾燥している
わたしが 朝 野菜に水遣りをするのを知っていて
その時を 待っているのだ
庭に出ていくと すぐに翔んで来て
頭のまわりを ぐるぐる翔び回る
スズメバチも 知り合いだから 安心だ
一通り ホースで水をまいて
レンガや 塀にも 打ち水をする
蜂は バジルの苗がお気に入りで
水玉が光るバジルの葉にとまって
ゆっくり 水を飲んでから
垂直に上昇して どこかに翔んでゆく
帽子をかぶって リュックを持って
仕事に出かける時でも おかまいなしに
耳のそばで あの蜂の声で
「水をくださいいいいいい」と言うから
急いで出かける時だって
やっぱり 水をあげないわけにはいかない
子供のころから 昆虫や鳥とは 深いつきあいだった
複雑でやっかいな 人間とのつきあいより
それは はるかに心安らぐものだから
ある意味 彼らは ほんとうの友人とも言える
でも 今になって あの頃を振り返って 思う
あの 砂漠の町の 人間ではないご近所さんたちは
残された 命の時間を 共に生きる彼らは
わたしにとって かけがえのない 仲間だ
Copyright ©2006RioYamada
2021年1月16日土曜日
2021年1月8日金曜日
嵐
2016年6月29日水曜日
山田リオ
最近、思うんだけど、
人一人の生命と、蟲一匹の生命は、同じ重さなのか。
どれほどの名声を残そうと、どんなに大きなビルを建てようと、
全巻96冊の作品全集を残して逝こうが、
死んでいく時には、わたしたちは何一つ持っては行けない。
燃えるゴミか、燃えないゴミか、どっちかになるしかない。
蜘蛛がどんなに立派な左右対称の巣を作っても、
夜のあいだに雨が降れば、朝にはその巣は消えている、
それと同じことだ。
猫のまわりに、猫の中に、
すごく巨きな平安を、平和を感じることがある。
木の枝で鳴いている小鳥を見ていると、小鳥のしあわせを思う。
こっちの勝手な思い込みだろうか?
壁にとまっている、いつもの蜘蛛をどんなに見ていても、
そこに何の苦しみも、葛藤も感じることができない。
それは、こっちが鈍感なせいか?
それに比べて、わたしたちの心のなかに吹き荒れる嵐は、なにごとか。
あの蟲、鳥獣蟲魚の心の中にも、私たちと同じような暴風雨があるのか。
訊いてみないとわからないことだが、
窓の外の小鳥の答えは、おそらく明快だろうと思う。
それもこれも、すべては、こっちの思い込みか?Copyright©2016RioYamada
2020年12月9日水曜日
2020年12月8日火曜日
2020年11月28日土曜日
2020年11月22日日曜日
後悔
とくに、豊かな内容の原稿が来て、
それを、楽しみながらあれこれと考え、
書き、読み返し、書き直し、訂正し、
あれこれ工夫して書く時間は、本当に楽しい。
あっという間に時間が、日々がすぎて行く。
出来上がってしまって、原稿を送った後は、
大切なものを失ったようで、淋しい。
そんなことなら、もっと時間をかけて、
ゆっくりやるんだった、と後悔する。
でも、また仕事が来ると、
もう、楽しくて、どんどんやってしまう。
そして、仕上がってから、また、後悔する。
むづかしいものだ。
ところが、ときには、というか、しばしば、
送ってしまった後で、失敗に気がつく。
まったく、自分は、不注意で、愚かなやつだ。
しかし、後悔しても、もう、遅い。
でも、後悔。 やまだ



















