音のむこうがわ
絵の具のむこうがわ
文字のむこうがわ
時間のむこうがわ
海のむこうがわ
夕焼けのむこうがわ
橋のむこうがわ
一生のむこうがわに
Copyright©2021RioYamada 山田リオ
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猫の名前は、昔からカタカナで二文字、というのが多いようだ。猫に苗字を与える、ということはほとんど行われていない気がする。しかし、猫には、カタカナの下の名前より、きちんとした苗字をつけることが相応しいように 思われる。夏目漱石の「吾輩」の猫には、名前がなかったようだが、「苦沙弥」、とか、「水島」などという名前をつけても良さそうだ。内田百閒が愛した猫は「ノラ」という名前だったが、これも、やや納得が行かない。百鬼園先生の相棒、「平山」なんていうのもいいし、「甘木」という名字もいい。「甘木、ご飯だよ。」「甘木、仕事中だから邪魔するな。」とか。猫で有名な養老孟司先生が愛した、今は亡き「まる」。この「まる」に苗字を与えるとすれば、奥本大三郎の「奥本」、なんてどうかな。あるいは、南方熊楠の、「南方」は?
あ、これ、本気にしないでね。酔っ払いのたわ言ですからw。
サンバです。ボサノヴァではありません。「過ぎて行く」という唄。
これを聞いて、元気を出してください。
僕の中では、これ、サンバの名曲、「サンバの中のサンバ」です。
これを聞けば、リオの人たちがカルナヴァウに一晩中踊れる理由がわかります。
歌詞は非常に長いので、訳さないでおきます。
この歌のだいたいの内容は、サンバの過去、現在、そして未来のこと。「過ぎて行く」のはサンバの楽隊とダンスの行列でもあり、音楽家たちも、人々も、苦しみも悲しみも、時代も、何もかも、すべてが過ぎ去っていく。でも、最後には、とうとう、あの日が、カルナヴァウが、喜びを連れて、やって来る。
あの時代に、この道を過ぎて行ったサンバは、今も目の前の石畳の上を過ぎて行くけれど、サンバはこれからも、永久に、決して滅びない。そういう唄です。この唄を書いたのも、この動画で歌っているのもチコ・ブアルキです。
もし可能なら、ですが、踊りながら聞いてください。
アリ・バホーズ (1903~1964, ブラジル)
訳:山田リオ
大通りで 黄色いシャツを着た あいつに出会った
花売りの唄を 歌いながら 花売りの唄を
あいつに 一緒にうちに来ない? と言ったら
あいつは 皮肉な笑みを浮かべて
つむじ風のように消えた
ほんとうに つまらない男
あいつは 食べ過ぎて 太っていたし
物干しで ヒラヒラ 風にゆれていたんだから
しばらくして ラルゴ・ラパのカフェで あいつを見つけた
五杯目のカシャサを飲んでいるところを
冗談じゃない
あいつは 朝の七時に戻ってきた
水曜日の 朝の七時にだ それに 酔っ払って
庭師の唄を歌いながら そう 庭師の唄を
重曹入りの水を飲みながら あいつは私に話しかけた
まったく ろくでもないやつ
ベッドにぶっ倒れて 靴も脱がなかった
そのまま 一週間 いびきをかき続けた
目覚めて あいつは私に 喧嘩をふっかけた
なんてやつ でも いいんだ
それに あいつは 亭主関白
でも そこがおもしろい あいつは最高だよ
だから 何があっても 気にしない
黄色いシャツなんか 燃やしてやる
あんなあいつが 好きだから
冗談じゃない
あいつは 私だけのもの
私の 大好きな 男だから
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むかしむかし 砂漠に住んでいたころ
救世軍の古着屋に ずいぶんお世話になった
このシャツの値段は 1ドル ありがたかった
前の人が 着て 洗って いい味が出ている
このシャツは 麻で 風通しがよく 気持ちがいい
ずいぶん 永いあいだ 着ているけれど
大好きなシャツだから 今でも 夏が来れば 着る
死ぬまで着るんだ 何があったって 捨てるもんか
やまだ
(後記:今でも着ています。2024 山田)
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