決して屈服するな。遠慮するな。論理的な方向に行くな。
あなた自身の魂を、世の中の流行に合わせて変えようとするな。
むしろ、あなたの最も激しい執着に、情け容赦なく従うことだ。
フランツ・カフカ (1883~1924) 山田リオ訳
作詞は ヴィニシウス・ジ・モライス
作曲は アントニオ・カルロス・ジョビン
題名の「思い出すのはもうやめよう」は山田リオの訳です
多くの人は この曲が 最初に書かれたボサノヴァだ と言います
歌手は ナラ・レアン
と ここまで書いて 当然出てくる「才能のことを書いてるお前」 つまりワタシの事だけど 「オマエごときが才能について書くのって どうなの?」 っていう疑問だけど マコトに ごもっともですが ここは 聞こえないふりして 続けます
で 話し言葉の事だけど たとえば 子供が生まれますよね で 新生児は退院して家に来る すると 家では 全員が なぜか 日本語を話している そしてこの子は 0歳からの数年間 家で 日本語を聞きながら育つ つまり 毎日毎日 耳から入って来るのは 日本語というわけ で 数年のうちに 子供は 当然のように 日本語を話しはじめる
もし 赤ん坊が住む家に フランス語が母国語の人と スペイン語が母国語の人がいれば 子供は当然 幼児のうちに フランス語とスペイン語を両方 話すようになる いわゆる バイリングアル というわけ
でね 音楽も 同じ事なの 親か 誰か赤ん坊と一緒に住んでる人が 例えば すごく松任谷由実が好きで 毎日毎日朝から晩まで松任谷由実の歌を聴いていたとすると この子の耳には ユーミンが毎日入って来る そして この子の母国語 じゃなくて 母音楽はユーミンになって それが刷り込まれたというわけ これが 場合によっては ずっと後になって もしかしたら 老人になってから 強烈なボディーブロウのように効いてくる ってこともある
つまり 人生の一番はじめに つまり 0歳から数年間のうちに 何を耳から入れてあげるかで その人の人生は劇的に変わって来るんじゃないか と ぼくは思っています でね これ 小学生になってからでは もう 手遅れなの 脳が柔らかいうちに じゃないと ダメなの
特にね 幼い時に 耳から入れてもらった音楽を とっくに すっかり 忘れていたとしても あれから ながいながい時間が流れて その子が大人になってから いろんなことがあって 病んだ時に あの時の 幼児の時の あの音楽が 遠い遠いところからやって来て この人を 救ってくれる そういうことも あるわけです
もちろん 「あの頃に耳に入れてもらった音楽がどんなものだったのか」 ってことも とても とても 大事
それと同時に 十回二十回程度じゃなく 「毎日 毎日 毎日 ずっと ずっと 繰り返し 耳から入れてあげる」ってのも すごく 大事 しかし 「座りなさい聞きなさい」はゼッタイにダメ 「なんとなく 知らないうちに いつも あの音楽が なんとなく聞こえていて 自然に 耳から入って来ていた」 ってのが一番いいのよ
「練習しなさい! 勉強しなさい!」というのも 最悪の結果を生むよね
でもさ 話しは「才能」から ずいぶんと遠くに来ちゃったね笑 つづく
山田リオ Copyright © 2022Rio Yamada