山田リオ
なぜぼくが
たとえば あの人の詩ばっかり
何度も何度もくりかえし 読んでいるのか
それは あの人に ある時
出会ってしまったからで
出会ってからというもの
ぼくが 生きていくなかで
いつも そばにいてくれて
ぼくが すくわれてきたからで
それは あのひとの詩 ばかりじゃないんだけど
出会ったのは だれに薦められたわけでもなく
じぶんで ひとりで
そのひとと 出会って
それから 読むたびに
つらくなったり かなしくなったり
気持ちが楽になったり たすかったり
そういうことが あってから
きがつけば また読んだり
あのひとのことを 思い出したり
つまり ああいう いくつかの言葉だけではなく
あのひとが 生きたことや なにもかもが
ぼくの いきていることの 一部になったのです
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花の写真を撮るのは
気がすすまない
でもなぜか
撮った
この時期は
気持ちが沈むから
それでかな
花芙蓉
花の俳句も
あまり好きじゃない
夏の海も
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ムラサキシジミ |
完璧な 無私
蝶は
自分が 美しいことを
知らない
ただ 林の中に消えて行く
ジャック・ケルアック(1922 – 1969)
訳:山田リオ
一日物云はず蝶の影さす
尾崎放哉(1885-1926)
(おざきほうさい、無季自由律俳句)
どっちみち梅雨の道へ出る地下道
池田澄子(1936~)
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タカラモノ。
写真は、子供の頃、祖父に貰ったガラスの文鎮です。
直径、約6cm。
祖父が何時、どこで手に入れたかは知りません。 やまだ
須耐煩書
「須く煩に耐うべし」(すべからくはんにたうべし)
「面倒なことでも、我慢してやりなさい」
大正十年一月 八十六歳
鐡齊錬 (富岡鉄斎 1837-1924)
蜘蛛もだまって居る私もだまって居る
尾崎放哉(1885-1926)