Old Asian Hand
中国系アメリカ人現代女性詩人、マリリン・チンの、Old Asian Handです。訳:山田リオ
年老いた アジアの手
年老いた アジアの手よ
わたしの ハタハタと羽ばたく場所に 触れよ
わたしの心臓 わたしの身体の蝶々
すみれ色の 椿の花が
真夜中に 鼓動する
年老いた アジアの手よ
月が おまえの左半分を 切り取る
黄色いのは 草
身もだえすることを 学ばなかった 草
年老いた アジアの手よ
蒼い赤道の下に
秋の初めの 湿った温かい地衣類を
見つけたか?
新たな 民族離散という
泥炭層の すぐ下には
すきとおった水が 流れる
Copyright©2016RioYamada
2016年10月21日金曜日
マリリン・チン ①
■2005/08/13 (土) SAD GUITAR
中国系アメリカ人女性詩人、マリリン・チンの「サド・ギター」です。
Sag Guitar「悲しいギター」
マリリン・チン 訳:山田リオ
盲目の移民よ
あなたはこれが理解できるか
触る、木、
これは木
そして火ではない、これは
土で、木ではない
これは自然界の水だ
*
お茶がはいって、ご飯が炊ける
あなたが去って十日間
わたしはよろめき、つまずいて
連想ゲームをしてみよう
フラワーに、韻を踏むのは
バワー、シャワー、それとも、パワー?
*
見知らぬ人よ、中国女を
愛したことがありますか?
彼女の心は菊の花
そこには深い峡谷がある
*
おお、曲がった杖、憤怒!
私はここに、あなたの中に、あなたなしで
ねっとりした闇をまさぐり
霊魂と怒りを、引きずり出す
*
わたしはロープを持たない女
逃げてしまった馬を追う
わたしの馬車の馬はいななき
蹄の音は略奪する
*
あなたが聞こえる、でも見えない
あなたに触れる、でも、遠い
淋しさについて、学んだことは
弦を爪弾く三本の指
全てがわかる、あの心臓---
悲しいギターの、芯の暗闇。
Copyright©2005RioYamada
昨日の晩、この詩の最後の部分「あなたが聞こえる」以下を夢に見ました。そこで、今朝、このなつかしい詩を再度掲載することにしました。2016 山田リオ
中国系アメリカ人女性詩人、マリリン・チンの「サド・ギター」です。
Sag Guitar「悲しいギター」
マリリン・チン 訳:山田リオ
盲目の移民よ
あなたはこれが理解できるか
触る、木、
これは木
そして火ではない、これは
土で、木ではない
これは自然界の水だ
*
お茶がはいって、ご飯が炊ける
あなたが去って十日間
わたしはよろめき、つまずいて
連想ゲームをしてみよう
フラワーに、韻を踏むのは
バワー、シャワー、それとも、パワー?
*
見知らぬ人よ、中国女を
愛したことがありますか?
彼女の心は菊の花
そこには深い峡谷がある
*
おお、曲がった杖、憤怒!
私はここに、あなたの中に、あなたなしで
ねっとりした闇をまさぐり
霊魂と怒りを、引きずり出す
*
わたしはロープを持たない女
逃げてしまった馬を追う
わたしの馬車の馬はいななき
蹄の音は略奪する
*
あなたが聞こえる、でも見えない
あなたに触れる、でも、遠い
淋しさについて、学んだことは
弦を爪弾く三本の指
全てがわかる、あの心臓---
悲しいギターの、芯の暗闇。
Copyright©2005RioYamada
昨日の晩、この詩の最後の部分「あなたが聞こえる」以下を夢に見ました。そこで、今朝、このなつかしい詩を再度掲載することにしました。2016 山田リオ
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悲しいギター
2016年10月11日火曜日
八木 重吉 ②
秋のひかり
ひかりがこぼれてくる
秋のひかりは地におちてひろがる
このひかりのなかで遊ぼう
雨
窓をあけて雨をみていると
なんにも要らないから
こうしておだやかなきもちでいたいとおもう
石
ながい間からだが悪るく
うつむいて歩いてきたら
夕陽につつまれたひとつの小石がころがっていた
草に すわる
わたしの まちがひだつた
わたしのまちがひだつた
こうして 草にすわれば それがわかる
草をむしる
草をむしれば
あたりが かるくなってくる
わたしが
草をむしっているだけになってくる
響
秋はあかるくなりきった
この明るさの奥に
しずかな響があるようにおもわれる
無題
ナーニ 死ぬものかと
児の髪の毛をなぜてやった
八木 重吉(1898-1927)
ひかりがこぼれてくる
秋のひかりは地におちてひろがる
このひかりのなかで遊ぼう
雨
窓をあけて雨をみていると
なんにも要らないから
こうしておだやかなきもちでいたいとおもう
石
ながい間からだが悪るく
うつむいて歩いてきたら
夕陽につつまれたひとつの小石がころがっていた
草に すわる
わたしの まちがひだつた
わたしのまちがひだつた
こうして 草にすわれば それがわかる
草をむしる
草をむしれば
あたりが かるくなってくる
わたしが
草をむしっているだけになってくる
響
秋はあかるくなりきった
この明るさの奥に
しずかな響があるようにおもわれる
無題
ナーニ 死ぬものかと
児の髪の毛をなぜてやった
八木 重吉(1898-1927)
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