2014年1月24日金曜日
和風は河谷いっぱいに吹く
宮澤賢治(1896-1933)
たうとう稲は起きた
まったくのいきもの
まったくの精巧な機械
稲がそろって起きてゐる
雨のあひだまってゐた穎は
いま小さな白い花をひらめかし
しづかな飴いろの日だまりの上を
赤いとんぼもすうすう飛ぶ
あゝ
南からまた西南から
和風は河谷いっぱいに吹いて
汗にまみれたシャツも乾けば
熱した額やまぶたも冷える
あらゆる辛苦の結果から
七月稲はよく分蘖し
豊かな秋を示してゐたが
この八月のなかばのうちに
十二の赤い朝焼けと
湿度九〇の六日を数へ
茎稈弱く徒長して
穂も出し花もつけながら、
つひに昨日のはげしい雨に
次から次と倒れてしまひ
うへには雨のしぶきのなかに
とむらふやうなつめたい霧が
倒れた稲を被ってゐた
あゝ自然はあんまり意外で
そしてあんまり正直だ
百に一つなからうと思った
あんな恐ろしい開花期の雨は
もうまっかうからやって来て
力を入れたほどのものを
みんなばたばた倒してしまった
その代りには
十に一つも起きれまいと思ってゐたものが
わづかの苗のつくり方のちがひや
燐酸のやり方のために
今日はそろってみな起きてゐる
森で埋めた地平線から
青くかゞやく死火山列から
風はいちめん稲田をわたり
また栗の葉をかゞやかし
いまさはやかな蒸散と
透明な汁液の移転
あゝわれわれは曠野のなかに
蘆とも見えるまで逞ましくさやぐ稲田のなかに
素朴なむかしの神々のやうに
べんぶしてもべんぶしても足りない
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宮澤賢治,
和風は河谷いっぱいに吹く
2014年1月21日火曜日
停留所にてスヰトンを喫す
宮澤賢治(1896-1933)
わざわざここまで追ひかけて
せっかく君がもって来てくれた
帆立貝入りのスヰトンではあるが
どうもぼくにはかなりな熱があるらしく
この玻璃製の停留所も
なんだか雲のなかのやう
そこでやっぱり雲でもたべてゐるやうなのだ
この田所の人たちが、
苗代の前や田植の後や
からだをいためる仕事のときに
薬にたべる種類のもの
除草と桑の仕事のなかで
幾日も前から心掛けて
きみのおっかさんが拵へた、
雲の形の膠朧体、
それを両手に載せながら
ぼくはたゞもう青くくらく
かうもはかなくふるへてゐる
きみはぼくの隣りに座って
ぼくがかうしてゐる間
じっと電車の発着表を仰いでゐる、
あの組合の倉庫のうしろ
川岸の栗や楊も
雲があんまりひかるので
ほとんど黒く見えてゐるし
いままた稲を一株もって
その入口に来た人は
たしかこの前金矢の方でもいっしょになった
きみのいとこにあたる人かと思ふのだが
その顔も手もたゞ黒く見え
向ふもわらってゐる
ぼくもたしかにわらってゐるけれども
どうも何だかじぶんのことでないやうなのだ
ああ友だちよ、
空の雲がたべきれないやうに
きみの好意もたべきれない
ぼくははっきりまなこをひらき
その稲を見てはっきりと云ひ
あとは電車が来る間
しづかにこゝへ倒れよう
ぼくたちの
何人も何人もの先輩がみんなしたやうに
しづかにこゝへ倒れて待たう
作品第1082番
宮澤賢治
あすこの田はねえ
あの種類では窒素があんまり多過ぎるから
もうきっぱりと潅水(みづ)を切ってね
三番除草はしないんだ
……一しんに畔を走って来て
青田のなかに汗拭くその子……
燐酸がまだ残ってゐない?
みんな使った?
それではもしもこの天候が
これから五日続いたら
あの枝垂れ葉をねえ
斯ういふ風な枝垂れ葉をねえ
むしってとってしまふんだ
……せはしくうなづき汗拭くその子
冬講習に来たときは
一年はたらいたあととは云へ
まだかゞやかな苹果のわらひをもってゐた
いまはもう日と汗に焼け
幾夜の不眠にやつれてゐる……
それからいゝかい
今月末にあの稲が
君の胸より延びたらねえ
ちゃうどシャッツの上のぼたんを定規にしてねえ
葉尖を刈ってしまふんだ
……汗だけでない
泪も拭いてゐるんだな……
君が自分でかんがへた
あの田もすっかり見て来たよ
陸羽一三二号のはうね
あれはずゐぶん上手に行った
肥えも少しもむらがないし
いかにも強く育ってゐる
硫安だってきみが自分で播いたらう
みんながいろいろ云ふだらうが
あっちは少しも心配ない
反当三石二斗なら
もうきまったと云っていゝ
しっかりやるんだよ
これからの本当の勉強はねえ
テニスをしながら商売の先生から
義理で教はることでないんだ
きみのやうにさ
吹雪やわづかの仕事のひまで
泣きながら
からだに刻んで行く勉強が
まもなくぐんぐん強い芽を噴いて
どこまでのびるかわからない
それがこれからのあたらしい学問のはじまりなんだ
ではさやうなら
……雲からも風からも
透明な力が
そのこどもに
うつれ……
あの種類では窒素があんまり多過ぎるから
もうきっぱりと潅水(みづ)を切ってね
三番除草はしないんだ
……一しんに畔を走って来て
青田のなかに汗拭くその子……
燐酸がまだ残ってゐない?
みんな使った?
それではもしもこの天候が
これから五日続いたら
あの枝垂れ葉をねえ
斯ういふ風な枝垂れ葉をねえ
むしってとってしまふんだ
……せはしくうなづき汗拭くその子
冬講習に来たときは
一年はたらいたあととは云へ
まだかゞやかな苹果のわらひをもってゐた
いまはもう日と汗に焼け
幾夜の不眠にやつれてゐる……
それからいゝかい
今月末にあの稲が
君の胸より延びたらねえ
ちゃうどシャッツの上のぼたんを定規にしてねえ
葉尖を刈ってしまふんだ
……汗だけでない
泪も拭いてゐるんだな……
君が自分でかんがへた
あの田もすっかり見て来たよ
陸羽一三二号のはうね
あれはずゐぶん上手に行った
肥えも少しもむらがないし
いかにも強く育ってゐる
硫安だってきみが自分で播いたらう
みんながいろいろ云ふだらうが
あっちは少しも心配ない
反当三石二斗なら
もうきまったと云っていゝ
しっかりやるんだよ
これからの本当の勉強はねえ
テニスをしながら商売の先生から
義理で教はることでないんだ
きみのやうにさ
吹雪やわづかの仕事のひまで
泣きながら
からだに刻んで行く勉強が
まもなくぐんぐん強い芽を噴いて
どこまでのびるかわからない
それがこれからのあたらしい学問のはじまりなんだ
ではさやうなら
……雲からも風からも
透明な力が
そのこどもに
うつれ……
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