お世話になったスイス人のM夫人と、親しい友人でアメリカ人のP、この二人のお見舞い、という名目だったのだが、泊まっていたのはM夫人の娘、Sさんとそのご主人でイタリア人のGさんの家。
中学生の頃からずっと親しい、日本人の友人、Iくん、そのほかにも各国に散らばっている人たちが、うまくニューヨークにいる時期だったのも幸運だった。
そんなわけで、ともかく、夜はワイン、たまに大吟醸。昼もまた、ワインもしくは純米酒。
一番多かったのがイタリア料理で、そのため、ワインになってしまうのだが。
Gの山の家での、二日連続の大掛かりなバーベキュー。
フランスに住むワインのプロ、Bが連れていったくれた、エルムハーストという町の正宗四川料理。
その街がまた凄くて、中国人だけでなく、タイ、ヴェトナム、シンガポール、マレーシア、カンボジアなどのアジア人でごったがえす町だった。
日本人のヴァイオリニスト、Iくんが招待してくれた、秘密クラブのような、日本の正しい居酒屋、「酒蔵」もまた。
最後の晩には、音楽家のP夫妻も加わって、移民の町、アストリアでの夕食。ギリシャ料理だった。
大きななスズキの丸ごと一匹炭火焼、タコ、海老なども炭火焼。ここでもワイン。
そのあと、二次会は、スロヴァキア人のJさんの案内で、正しいチェコのピルスナー・ビールが呑める広い広い野外ビヤホール。しかし、ワインの後なので、そんなには呑めなかったのが残念。
あっという間に、十日間が過ぎていった。
まったく、あんなふうに、来る日も来る日も酒を呑んだのは何年ぶりだったろう。
疾風怒涛のニューヨークが終わって、飛行機で西海岸の自宅に深夜着いたら、日本からメールが届いていた。
開くと、それは、Y氏とM氏からの、東京の中学からの古い友人、T君の訃報だった。
お酒が大好きだったT君。
あのニューヨークでの10日間の出来事は、T君が「のみなさい。もっと呑みなさい」と、遠い日本から、念を送っていたのだろうと思う。
T君、あなたとNYでいっしょに呑んだこともあったね。
念力をありがとう。ほかにもたくさんのこと、ありがとう。
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