詩日記
自信のない詩人、山田リオが書いた詩、作文など、いろいろです。 Copyright © Rio Yamada. Watermark テンプレート. Powered by Blogger.
2024年4月27日土曜日
タンゴ
フリオ・ソーサ (ウルグアイ、 1926~1964 アルゼンチン、38歳)
2024年4月26日金曜日
2024年4月24日水曜日
2024年4月22日月曜日
『He』2004
■2004/11/30 (火)
そのホームレスの男に会ったのは
ニューヨーク マンハッタンの
ずっと下の方の 東側 道も狭い
豪華でも 美しくもない 一角
そういう街のコーヒーショップで
わたしは コーヒーを飲んだり
雑用や 書き物なんかをしながら
午後の数時間をすごした
彼は コーヒーショップのすぐそば
歩道のすみっこに 彼の全財産である
襤褸包みといっしょに 住んでいた
つまり そこが 彼の住所だった
先週の ニューヨークタイムス
ヘミングウェイの 小説
彼は いつも 何かを読んでいた
彼と私は いつも 何も言わなくても
二人だけの暗号を 目と目で交わした
そう 彼と私は 同類だったんだ
彼が死んだ日
ニューヨーク市のトラックがやってきて
彼を襤褸包みといっしょに運んでいった
きれいになった 日暮れの舗装道路の上
貧しい人もそうでない人も そこに立ち
お互いに 話したこともない隣人たちが
みんな それぞれ ロウソクを灯して
昨日まで そこに住んでいた
あの ホームレスの男のための
ロウソクの炎が 夜風にゆれているのを
最後の一本が消えてしまうまで
見つめていた
2024年4月18日木曜日
はっけん
ずっと
じぶん のことを
にんげん だろうと
おもっていたが
じつは じぶんは
だんごむし
だったと
きがついた
これ はっけん
はい
わたし だんごむしですが
なにか?
© rio yamada |
2024年4月9日火曜日
戯曲
夢の中で 自分は 以前に書いた 戯曲
つまり 舞台演劇の台本を 書いたらしく
それを どこに置いたのか 忘れているらしい
本棚にも コンピューターにも 見つからない
夢の中で ああ そうだった と 気がつく
あれは 頭の中に 入れて置いたんだ と
記憶していたことを 忘れていた ということらしい
やっと 安心して 眠った そういう夢だった
本当に目が覚めた時 あれは どんな戯曲だったのか
全く 記憶にない
山田リオ
2024年4月5日金曜日
2024年3月22日金曜日
光と水と空気
2024年3月21日木曜日
悲しいギター 2005
■2005/08/13 (土) SAD GUITAR
中国系アメリカ人の女性詩人、マリリン・チンの「サド・ギター」です。
「悲しいギター」
マリリン・チン 訳:山田リオ
盲目の移民よ
あなたはこれが理解できるか
触る、木、
これは木
そして火ではない、これは
土で、木ではない
これは自然界の水だ
*
お茶がはいって、ご飯が炊ける
あなたが去って十日間
わたしはよろめき、つまずいて
連想ゲームをしてみよう
フラワーに、韻を踏むのは
バワー、シャワー、それとも、パワー?
*
見知らぬ人よ、中国女を
愛したことがありますか?
彼女の心は菊の花
そこには深い峡谷がある
*
おお、曲がった杖、憤怒!
私はここに、あなたの中に、あなたなしで
ねっとりした闇をまさぐり
霊魂と怒りを、引きずり出す
*
わたしはロープを持たない女
逃げてしまった馬を追う
わたしの馬車の馬はいななき
蹄の音は略奪する
*
あなたが聞こえる、でも見えない
あなたに触れる、でも、遠い
淋しさについて、学んだことは
弦を爪弾く三本の指
全てがわかる、あの心臓---
悲しいギターの、芯の暗闇。copyright2005© rio yamada
2024年3月6日水曜日
2024年2月23日金曜日
2024年2月9日金曜日
2024年1月29日月曜日
2024年1月23日火曜日
遠ざかるスケートボード
■2010/07/02 (金) |
山田リオ
その人はこっちを向いたままスケートボードに正座している
いつものあの表情を保ったままのその人を乗せて
スケートボードは徐々に加速しながら遠ざかる
こっちを向いたままのその人の表情は変わらない
正座したままだんだん遠く小さくなっていって
とうとう見えなくなったむこうの
遠い空には白い雲
永い人生の中のほんの一瞬すれ違い
ほんのわずかな言葉を交わしただけで
分かり合えたような気になっただけで
遠ざかり小さくなりもう見えなくなったあの人とは
ほんの少しだけ言葉を交わすことはあったのだが
お互いの目を見ることもなくわかれて行った無数の人たち
見上げる空には白い雲 Copyright©2010RioYamada
2023年12月31日日曜日
2023年12月24日日曜日
2023年12月10日日曜日
うつくしいもの
八木重吉(1898~1927)
わたしみづからのなかでもいい
わたしの外の せかいでも いい
どこにか 「ほんとうに 美しいもの」は ないのか
それが 敵であつても かまわない
及びがたくても よい
ただ 在るといふことが 分りさへすれば、
ああ ひさしくも これを追ふにつかれたこころ
© rio yamada |
2023年12月7日木曜日
実生 10/04/2011(再録)
2011 © rio yamada |
2023年11月30日木曜日
現代詩手帖
「現代詩手帖 12月号」(思潮社)の「今年度の収穫」で、詩人の須永紀子さんに、私の詩集「ときのおわり」 を取り上げて頂きました。
「病を得て悪化したころから書きはじめたという詩人の、ポエジーあふれる第一詩集。何度読んでも清々しさに魅了される。」須永紀子
また、同欄で、詩人の荒川洋治さん、岡本勝人さんも、「ときのおわり 」を取り上げてくださいました。ありがとうございました。 山田リオ
2023年11月25日土曜日
大きい小さい
大きい山 小さい山 大きい川 小さい川
大きい人 小さい人 大きい手 小さい手
大きい窓 小さい窓 大きい空 小さい空
大きい雲 小さい雲 大きい音 小さい音
山田リオCopyright©2023RioYamada
© rio yamada |
2023年11月17日金曜日
悲しみ
2023年11月12日日曜日
蛇の足 蛙の尻尾
山田リオ
遺言は もう 書いてしまった
さて 次は 何を書こうか
なにか 軽くて ユーモアのある ドルチェ? 甘いもの?
ああ でも そういうものは
軽い と言ったって なんだか 気が重い
何を書いたとしても それは 蛇の足 蛙の尻尾
みたいな気がするのは ぼくの頭が おかしいのか
それとも すべては 気候変動のせいなのか
まだ 秋が来ないうちに もう 冬が来てしまったのは 誰のせいか
そうだ 遺言の 続編を 書けばいいんだ そうしよう
そうすれば 蛇さんも 蛙さんも きっと 喜ぶんじゃないかな
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2023年10月25日水曜日
秋草光
秋
秋が くると いふのか
なにものとも しれぬけれど
すこしづつ そして わづかにいろづいてゆく、
わたしのこころが
それよりも もつとひろいもののなかへくづれて ゆくのか
2023年10月8日日曜日
2023年10月4日水曜日
姓名
姓は苗字、名は名前、英語だと、Last name and first name.
ああ、そうだ。surname, given name という言い方もある。
surname が苗字で、given name が・・
でも、「下の名前」という言い方には、なんだろう、違和感がある。
ぼくの名前の「リオ」は、ポルトガル語、またはスペイン語で「河」という意味だ。
そして、河は、海に向かって流れて行く。そう。いつか、海に出会う。
だから何だって? だから、ね、そういうことなのさ。
ところで、一生の間には、一度くらい、
この写真のような日没に出会う幸運も、あるんだよね。 Rio
© rio yamada |
2023年10月3日火曜日
あの音楽
■2010/05/20 (木) |
音楽のことを書きます。
大切な音楽とは、どんなものか、
いや、そうであることを願います。
わたしにとって大切な音楽は、ジャンルで呼べるようなものではありません。
それは、歌詞も無く、まあ、かなり地味なものです。
その音楽は、自分が病床にあって、もうダメだ、という時に、
もうどうしようもなくて、あきらめて、ビルの屋上から跳ぼうという、
どんな音楽かって?
わたしが、どんなに酔っ払っていたって、
山田りお Copyright©2010RioYamada
2023年9月30日土曜日
2023年9月22日金曜日
2023年9月12日火曜日
2023年8月30日水曜日
終わるんだよ
セミの声が聞こえない夏 いつまでも終わらない夏
スイカを買おうと スーパーマーケットに行った
プラスチックの箱に入れた 細かく刻んだスイカの破片が
ほんの少し あるだけだった
それで 八百屋さんに行ったら
三日月の形のスイカがあったので すぐ 買った
八百屋さんが 「もうすぐ スイカは 終わりなんですよ」 と言う
そうか 今年の夏は 終わらないんだと思っていたら
スイカさんの世界では 夏は もうすぐ 終わるんだな
それなら 気がつかなかったけど 季節は まだ あるんだ
「そうだよ 夏は もう 終わるんだよ」 スイカさんが そう言っています
山田リオ Copyright©2023RioYamada
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